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コラム

2016年07月22日

「集団疎開の少年の記憶」~孫に語り継ぐ戦争体験

ひまわり白黒

福島県 I・A

昭和18年から昭和21年まで、私は昔の農業会(今の農協)職員として奉職してまいりました。

大東亜戦争も激しく、食糧難で、来る日も来る日も芋とカテメシ(雑穀などを混ぜた飯)の毎日でした。

干した大根の葉さえ宝物で、山に生えている草も食べられる物は個人で採取し、山間部落に住んでいても採りつくしてしまう状態でした。

 

1月中旬頃、豪雪地帯で凄く寒い朝のことです。私は職場へ急いでいると、4年生くらいの少年と会いました。その子は学童疎開の児童だとすぐに分かりました。

「寒かったろう、どこへ行くの?」

と聞くと

「オバチャン家へ行きたい」

と、震えながらやっと喋ってくれました。考えている余地はありません。

私は西会津町の派出所へ行き、

「この子を夕方まで預かってください」

とお願いをしました。

 

遅れて職場へ着くと、主任に

「重大責任のある農業会に遅刻するとはけしからん」

と、こっぴどく叱られました。遅くなった理由は話さず、私は何回も頭を下げました。

仕事を疎かにしてはいけないと、一生懸命そろばんとにらめっこしていると、主任がやってきて、

「君、大変良い事をしたではないか。警察から連絡があり、人命救助をしたそうだね。それが判っていれば、今朝あんなに叱らなかったのに。済まぬ」

私はかえって恐縮してしまいました。

 

帰り道、ボサボサと降る雪の中、派出所に寄ったら、少年は疎開先の旅館の方に引き取られていったとのこと。少年に会えず、私は少しがっかりしました。

 

まもなく私は90歳。あの少年は80歳くらいか。今も健在だろうか。会って話がしてみたい。あの時はお互い防寒着も無く、寒さで震えてお互い名乗る余裕なんてなかったのです。

親元から離れて集団疎開をした少年。どれほど家族と会いたかっただろうか。「オバチャン家へ行きたい」と、私に願うしかなかったのでしょう。その願いを叶えてあげたかった。

そんなことも、すべて戦争のため。夢でもいいから少年と再会し、戦争の悲惨さを語りたいと思っています。

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