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2017年03月06日

花見は「共生」の精神で…数百年後の今でも見習うべき「江戸の花見マナー」 連載12

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春はなんといっても華やかに命溢れる花を愛でる季節です。先月の静かに香りを楽しむ梅見とは正反対に、ハレの日の代表でもある江戸の花見をご紹介いたします。

江戸期を通じて桜の花見の場所として有名なのが上野、飛鳥山、向島、小金井などです。

やはり上野が筆頭で、寛永の始めの頃より桜といえば上野と言われる場所になっています。ただ当時は今と違い宮様がいらっしゃるため夜桜見物は禁止でした。そのために八代将軍吉宗が夜桜見物の場所として、飛鳥山、隅田川提、品川の御殿山、小金井に桜を植えて庶民に解放していました。庶民が花見をレジャーとして、遠くまで出かけるようになったのはこれ以後の事です。場所は江戸の東より北に多く、向島は夜桜名所にもなり、飛鳥山は吉宗の命により1千本の桜が植えられました。王子稲荷が近いこともあり、その参拝客も含め、圧倒的な賑わいになったといわれています。現在のお花見スタイルのはしりの様で、桜の下に毛氈を敷き、幔幕を張って歌舞音曲を楽しんでいたのがこの頃からです。

また桜といえば隅田川、墨堤の桜。近くの長命寺のさくら餅は名物として今でも人気ですが、曲亭馬琴の随筆によると、さくら餅の桜の葉の年間使用数は38万7千500枚(1個に2枚使用)で、1個4文なので年間売り上げは相当なものだったようです。

小金井も玉川上水の両側に植えられた数千本の桜で、江戸市中より六里余り離れていたことで、江戸っ子は籠や馬での泊まりがけの花見でした。また上野の桜は吉野の山から運び込み植えたものですが、寛永に発刊された「老人覚書」には、上野東照宮から出火した火事が花見客の不始末のものと記されていて、桜の下で現代を彷彿とさせるような華やかな花見の宴が繰り広げられていた様子がうかがえます。花見には日々の食事とは違う特別な弁当などを用意し、女性達は化粧もし、普段着とは違う晴れ着を身にまといハレの日を楽しんでいたのでしょう。

年に一度の花見の宴だからこそ「束の間つきあい」お隣同士には互いに挨拶をかわし、気持ち良く、同じ時を楽しむ……これが江戸流のひとつ、そして花見には「共有の思想」を忘れない事が大切な事でした。共有する場所では一人一人が他の人が使用することも意識して、汚したり破損させたり、他人に迷惑をかける行為をしないことです。江戸の人は「共生」の精神に反する、自分のものは大切にするのに共有のものをぞんざいに扱うことを大変嫌いました。

黙っていても毎年美しい花を咲かせてくれる桜、人それぞれに今年はどんな思いを寄せるのでしょうか?数百年の後の世にも、沢山の人が気持ちよく楽しめる様に、江戸の花見のハレの心で、節度を守り楽しみたいものです。(老友新聞社)

 

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酒井 悦子
  • 伝統芸能コーディネーター
  • 筝曲演奏家

幼少より生田流箏曲を学び、現在は国際的に活躍する箏演奏家。

箏の修行と同時に、美術骨董に興味を持ち、古物商の看板も得る

香道、煎茶道、弓道、礼法などの稽古に精進する一方で、江戸文化の研究に励み、楽しく解りやすくをモットーに江戸の人々の活き活きとした様子と、古き良き日本人の心を伝えている。

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