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2017年01月12日

第9回 駿府城〈将軍家康の城は史上空前の規模!〉

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所在地=静岡県静岡市

種類=平城 

 

慶長12年(1607年)、息子の秀忠に将軍職を譲った家康が、駿府の地に大城郭の築城工事を起こし、天下普請により、完成域に達するほどの築城技術の粋を集めて築かれた大御所の隠居城こそ、駿府城です。信長の安土城、秀吉の大阪城の豪華絢爛さと、徳川幕府が築いた白亜の壁が合体した、当時としては我が国随一の芸術作品とされ完成しました。

急ピッチで築城工事が進められたのですが、あと一歩の完成間近で失火により、天守をはじめ本丸の中心部が焼失したため、直ちに家康は普請人足を増やし、焼失した城の再建工事に取り組み、第二期駿府城となりました。家康の死後、20年後の寛永12年(1635年)城下からの火事により、灰燼に帰し、その威容はわずかに残る文献と資料から推測するしかなくなりました。家康の築いた慶長期の城域は、本丸、二の丸、三の丸の主軸が大きくずれていることから、天正期より一回り大きくしており、三の丸分部が拡張されたとする説もあります。

築城にあたり、家康は上方から江戸に下る東海道からの眺めを念頭に天守を築きました。

宇津野谷峠を越えて、安倍川を渡り駿府の町に入ると、黒光りする駿府城天守と、雄大な富士山が競うように並びたっていたのでしょう。東海道を江戸へと向かう外様大名や旅人は、日本一の霊峰富士山より高く見える駿府城の天守と、大御所の権勢に圧倒されていたと考えられます。

第二期天守建築そのものは、寛永の火災で焼失したものの、天守台は明治29年まで現存していました。旧陸軍築城本部が実測をしたところ、我が国城郭史上空前の規模を誇る最大の天守台です。その上にそびえ建つ天守は六重七階という日本史上最多重階の天守は、漆黒の下見板張りの外観で、軒先には金箔が貼られ、破風飾りは金と銀。静岡の太陽の下、時には富士山以上に輝く存在だった駿府城は、大御所として将軍職を退いた後も、実質的な権力を保持し続けていた家康に似つかわしい居城です。

天下普請を命じられた諸大名は忠勤に励んだといわれています。城域は江戸城に及ばずも、豪華絢爛な天守は威容を誇る建築でした。

現在残っている城跡は、寛永12年の火災後に再建されたものですが、その構造は基本的に家康築城時をそのまま踏襲しています。復元された巽櫓と東御門が連なり建つ様は、白壁が水堀に映えて美しく、二の丸、三の丸に残された水堀と石垣を巡る市内散策も駿府城を知る一つとなっています。(老友新聞社)

 

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