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コラム

2017年07月19日

第16回 「真田城」こと上田城~家康軍を二度も撃退!!真田一族ゆかりの城

今回は大河ドラマで随分と盛り上がりをみせた真田城こと上田城です。

戦国時代の中でも人気抜群の真田氏。名将真田昌幸が当主となったのは、天正3年(1575)のことです。武田家に臣従していた真田家ですが、武田家滅亡の後、主人を失った昌幸は、現在の上田市一体を制圧し上田城を築き居城としました。

小大名が安心して暮らせる時代ではなかったので、生き残るために同盟と裏切りを繰り返し、上杉に付いた時に徳川と決裂。これが第一次上田合戦。3千の真田勢に対し8千の徳川勢を撃退し、この勝戦により、昌幸の武名は天下に鳴り響くことになったのです。

その後、関ヶ原の戦いで「行きかけの駄賃」とばかりに中山道を西上した徳川秀忠の率いる別働部隊を上田城に引き付けて、関ヶ原の戦いに遅参させたのが第二次上田合戦です。このような歴史のある真田氏ゆかりの上田城ですが、現在の遺構は残念ながら、その後に入った仙石氏によるものです。

 

伝承の「真田石」櫓も見どころ

現存する櫓、鬼門除けの「隅おとし」、真田石と呼ばれる、信之が松代に移封を命じられた際、父の形見として持って行こうとしたが、微動だにしなかったという伝承の石が「東虎口櫓門」正面右手にあり見どころとなっています。

4面「気ままに城巡り16」28年7月号写真2

東虎口櫓門の左右にあるのが「南櫓」と「北櫓」。この櫓は明治に御代になってから民間に払い下げられて、遊郭として使われていたという場所です。古風な櫓ですから遊郭としては風情があるといえばあるのですが……城も長い年月には数奇な運命を辿り今にいきづいているのです。

大河ドラマの影響で、六文銭ののぼりが立ち並ぶ上田城周辺ですが、新幹線を使うと東京からでも十分日帰り圏内です。山城ではないので気が向いたら、ぶらりと出かけてみませんか。これからの季節は日焼け対策、水分補給、そして虫除けもお忘れなく。

最後に一つ、「真田井戸」も是非見つけてください。この井戸には抜け穴があり城北の太郎山山麓の砦に通じて、敵に包囲されても兵糧を運び、出入自由だったといわれています。

上田城は、転封という平和的手段により徳川氏に移りましたが、昌幸の武略が詰まり、尼ケ淵から望んだ南櫓と西櫓の姿はいかにも上田城らしい風景を残しています。(老友新聞社)

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