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コラム

2020年09月29日

第41回 「人吉城」~水運を利用した川の城~

所在地 熊本県人吉市山麓町
種 類 平山城
別 名 球麻城(くまじょう)、三日月城、繊月城(せんげつじょう)

7月の豪雨災害は皆様の記憶に新しいと思います。被災された方々には心よりお見舞い申しあげます。何かお役に立ちたいという気持ちを込めて今回は人吉城をご紹介します。

日本三急流のひとつといわれる球磨川沿いを走る肥薩線の車窓からの眺めは絶景です。人吉は人も町も暖かく旅人を迎えてくれる、何度でも訪れたいと思う心安らぐところです。

講談や浄瑠璃で有名な「伊賀越えの仇討ち」は、渡辺数馬が、義兄である荒木又右エ門とともに伊賀上野の鍵屋の辻で河合又五郎を打ち取った物語です。
その中に出てくる「落ち行く先は九州相良」という又五郎のセリフがありますが、この九州相良というのが35代、650年間にわたり2万2千石の球磨盆地を治めた相良氏の城下、現在の熊本県人吉市です。

人吉駅から歩くこと約10分。球磨川を隔てた目の前が人吉城です。初代城主といわれる相良長頼の建久9年(1198年)の築城と伝わっています。天正17年(1589年)の大改修から、慶長6年(1601年)までに、本丸、二の丸、詰の城部分や御館部分を成就させ、寛永年間に石垣を完成させています。その後、幕末の「寅助火事」の被災による軍制改革によって、西洋式石垣の導入や外堀の土塀への転換などの大改修が施されました。
しかし、明治からの払い下げによって、石垣が残るのみとなってしまいましたが、平成になって角櫓、長塀、多門櫓が復元され、井戸を備えた地下室遺構も公開されています。これは全国で例がありません。そして、この城の大きな特徴は球磨川を外堀としてたくさんの船着場を設け積極的に水運を利用しているところでしょう。

城址の一角に「故郷の廃家」という詩碑があります。

 幾年古里来てみれば
 咲く花啼く鳥そよぐ風
 門辺の小川のささやきも
 なれにし昔に変わらねど
 荒れたる我家に
 住む人絶えてなく

人吉の生んだ詩人であり音楽家でもあった犬童球渓の詩です。球渓は皆様がご存じのアメリカの歌、「旅愁」を日本語に訳したことでも有名です。石垣からの眼下には球磨川が銀の帯のように広がり、周囲は見渡す限り新緑の山々。まさしく山間の人吉盆地。
一日も早い復興を願うばかりです。

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