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コラム

2020年03月31日

長い間思いの中にあった道しるべ。それが現実に…「光悦村」

平成30年6月8日のこと。洛北鷹峯に新しいランドマークが出来た。琳派40年の記念碑だ。琳派の美の様式に関しては、芸術家はともかく、きものファンにも正倉院文様と共に愛されてきた文様だ。
風神・雷神・秋草図・平安絵巻などの文様は、きっときもの帯の文様の展開されたものを一枚は持っているのではないか。流行に惑わされることなく、年齢や趣味にとらわれることなく、琳派文様の衣装は日本人の衣生活の中に生き続けている。

元和元年(1615年)、本阿弥光悦は徳川家康から鷹峯に土地を拝領した。
大芸術家・本阿弥光悦のまわりには、光悦の一門をはじめ、あらゆる分野の職人たちが集まってきて、数々の作品を生み出していった。糸・染色・陶器・竹・塗など。
やがて独特の芸術家集団を形成していく4百年を経た芸術家集団は、今なお、その美の系図を守り伝えている。
尾形光琳・乾山、酒井抱一、中村芳中、清水六兵衛、加山又造など、日本美術史の系図としてゆるがない。

私も仕事を始めて70年になり、ささやかながら、衣装を通して日本の文化に触れてきた。
光悦村をはじめ、鷹峯を訪れることは度々あったが、京都の市中にある道しるべは無かった。

道しるべ・道標。
長い間、私の思いの中にあった道しるべ。この思いが現実となった。
京都市北区鷹峯光悦町。鷹峯小学校の前、まさに光悦村のど真ん中だ。
縦70㎝、横30㎝の程良い大きさの黒い石は、高野山から鷹峯に運ばれた。石碑の文言は、河野元昭氏(静嘉堂文庫美術館長)が選んで下さった。

『本阿弥行状記』から、

「此後とても昔の名作におとらぬ名人いくらも出申すべし」

書家の吉川蕉仙先生が、石碑にふさわしい揮毫をして下さった。吉川先生とは、先生の著書『上がる下がる』(二玄社)で御一緒した。これも光悦村の磁力か。
光悦寺や源光院とも近く、日本美術の核ともなる、静かな環境だ。

その日は、除幕式で鷹峯小学校6年生38名が合唱をしてくれた。除幕式の間、雨も降らず、御町内の方々もお越し頂き、緊張感の漂う30分であった。
このところ、内外の観光客が多く、静かな京の町は変貌しつつあるが、このあたりは里山の風景を残して道路も歩きやすくなった。

除幕式を終えて、私のサロンへ帰ってきたら、
私のサロンで着付けをしたお客様が留袖の着付けを終えて、バッグを持って階段を降りてこられた。
黒地の留袖に、帯を見てびっくり。
白地綴地に朱の千羽鶴だった。俵屋宗達が画き、本阿弥光悦が書を書いた有名な「鶴下絵三十六歌仙」だ。

何という偶然。こうしてさりげなく琳派は暮らしの中に生きているのだ。
外国人観光客は、今やガイドブックを見ながら自由に歩いている。
京都は何処へ行ってもドラマがある。四条通り一力から清水寺にかけて、満員電車の如しだ。舞妓さんが嘆いていた。
「さわらはるし、かないまへん。おこぼはいてて、はしられへんし」
(本稿は老友新聞本紙2018年8月号に掲載した当時のものです)

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市田 ひろみ
  • 服飾評論家

重役秘書としてのOLをスタートに女優、美容師などを経て、現在は服飾評論家、エッセイスト、日本和装師会会長を務める。

書家としても活躍。講演会で日本中を駆けめぐるかたわら、世界の民族衣装を求めて膨大なコレクションを持ち、日本各地で展覧会を催す。

テレビCMの〝お茶のおばさん〟としても親しまれACC全日本CMフェスティバル賞を受賞。二〇〇一年厚生労働大臣より着付技術において「卓越技能者表彰」を授章。

二〇〇八年七月、G8洞爺湖サミット配偶者プログラムでは詩書と源氏物語を語り、十二単の着付を披露する。

現在、京都市観光協会副会長を務める。

テレビ朝日「京都迷宮案内」で女将役、NHK「おしゃれ工房」などテレビ出演多数。

著書多数。講演活動で活躍。海外文化交流も一〇六都市におよぶ。

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