コラム
千年以上も変わらぬ式服の歴史…それを守り伝えるのが私の役割<市田ひろみ 連載26>
昨年はうれしいことが多かった。
文部科学省から「社会教育功労者表彰」、一般財団法人大日本蚕糸会からは「蚕糸功績者表彰」、文化庁から「文化庁長官表彰」。
そして京都市教育委員会からは「歴史都市京都から学ぶジュニア京都検定」推進プロジェクト。
私は教育委員会の仕事が多い。例えば「歴史都市・みやこ子ども土曜塾」では、源氏物語を語りつつ、十二単の着装を見せる。それも二条城の国宝を前にして、日本の天皇家の礼服である。
束装と十二単は平安時代から千年以上も形が変わらない。つまり、式服の歴史を守り、伝えて来たことを語る。
子供達は静かに私の話を聞きながら、だんだん身を乗り出してくる。
例えば、世界の衣装の実物を子供達に見せながら、民族によって言葉や暮らし、宗教や衣服が、その民族の生活習慣の中で生きていることを話す。
アフガニスタンのチャドリ(頭からかぶる袋状の服)が出場して来た時は、最初、ゲラゲラ笑っていた子供達だが、やがてその服に信仰が生きていることを学ぶ。
イスラム教のコーラン(教書)の中に、女性は家族以外の男性の前では、肌をつつみかくすようといっている。だからチャドリは、頭から足先までの袋状のベールで、目のところだけ網の目のようになっている。外出する時にチャドリをかぶり、帰宅したらチャドリを脱ぐ。アラーの神の教えを守っているのだ。
こうして小さな視野が、ひとつひとつ広がってゆく。
大日本蚕糸会は、何といっても、日本人は絹とともに暮らしてきた。
天皇家にも、蚕との儀式や習慣が生きている。日本書紀にも、すでに蚕が皇妃に飼われていたとある。
現在、御所の紅葉山御養蚕所は、大正3年(1914年)貞明皇后によって新たにつくられた木造二階建てで、皇居の蚕達が見事に大切にされている。
美智子皇后様は、御養蚕始めの儀式と納(おさめ)の儀式をなさっている。
愛子様の産着は、美智子皇后様の蚕で作られたものといわれる。
2008年、洞爺湖で行われたG8サミットで、私は元首婦人達に源氏物語を語りながら、十二単の着装をお見せした。
ブッシュ大統領夫人やロシアのメドヴェーチェフ婦人達は、華麗な天皇家の式服に大変興味をもたれ、メドヴェーチェフ夫人は
「これはすべて本当の絹か」
と質問された。
「勿論すべて絹です」
さて、文化庁が京都に移転してくれるという「文化首都・京都」とは言われるものの、東京中心の日本では、京都はまさに古都になってしまう。どのような形で文化庁が形作られるのかと期待半分、不安半分の今日この頃。
この原稿を書いているとき、知人のきもの問屋、大松の小澤会長から
「先生、清流亭の桜が見ごろでっせ。お茶のみに来て下さい」
と電話があった。
南禅寺山間の地、数寄屋の山荘をおおうように、今まさに満開の桜、桜、桜。植治こと小川治兵衛の見事な庭をながめながら、茶室でお茶を頂く。
至福の時間。
文化庁長官表彰を頂いて、107都市で日本文化を世界に紹介してきたが、日本文化のしつらいやもてなしは、風を感じてこそ日本の感性だ。ごほうびを頂いた分、私は私の役割を果たさねば……。(老友新聞社)
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- 市田 ひろみ
- 服飾評論家
重役秘書としてのOLをスタートに女優、美容師などを経て、現在は服飾評論家、エッセイスト、日本和装師会会長を務める。
書家としても活躍。講演会で日本中を駆けめぐるかたわら、世界の民族衣装を求めて膨大なコレクションを持ち、日本各地で展覧会を催す。
テレビCMの〝お茶のおばさん〟としても親しまれACC全日本CMフェスティバル賞を受賞。二〇〇一年厚生労働大臣より着付技術において「卓越技能者表彰」を授章。
二〇〇八年七月、G8洞爺湖サミット配偶者プログラムでは詩書と源氏物語を語り、十二単の着付を披露する。
現在、京都市観光協会副会長を務める。
テレビ朝日「京都迷宮案内」で女将役、NHK「おしゃれ工房」などテレビ出演多数。
著書多数。講演活動で活躍。海外文化交流も一〇六都市におよぶ。
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