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コラム

2016年03月08日

今や戦場となったシリア北部…民族衣装調査で訪れた際の追憶<市田ひろみ連載2>

1993年12月。私は、ヨルダン航空の最初のチャーター便で、シリア・ヨルダンの旅に出た。

シリア砂漠に点在するベドウィン(遊牧民)のテントは、白い雪をかぶっていた。

もうやがて、日本も正月。

バンコックを経てヨルダンまで、機内食を3回頂いて20時間の旅。

ヨルダンもシリアも古代遺跡の宝庫。だけど私の目的は、何といってもヨルダンのサルト地方に伝わる、巨大な服をさがすことだ。私の世界の民族服を探す旅も、だんだん難しくなりつつある。

巨大な服!! 想像がつかないと思うが、お振袖を上下にひきのばした大きさ。身丈3メートル20センチ、袖丈1メートル93センチ。黒地木綿に藍染めの木綿の布が前後左右、4カ所にはさみこんである。

ガイドのアクラムさんは、

「多分どこにも残っていないだろう」

と、最初からあきらめムード。

このあたりのベドウィンの衣装は、骨董品店でも高価な値がついている。黒地に赤の木綿糸で、細かいクロスステッチでうめつくされている。しかし、サルト地方の服は、只、大きいのだ。

しかし私にとって、この大きさこそ、希有なのだ。

毎日、アンマン市内から郊外、市場から個人の家まで訪ね歩いて、やっと、本当にやっと、丘の上の小さな骨董店で、くしゃくしゃに丸められた服を見つけた。

店主は、思いっきりふっかけて、不思議そうな顔をしていた。

アンマンの北西30キロ。この巨大な服、「カラカ」「ベダジヤン」とよばれる。1960年代まで着用されていたが、南北に開通した定期便のバスが流通を変えた。

やっと一枚手に入れたものの、これは駄目だ。どうして着用したのか、もう一枚必要だ。ウエストでブラウジングして着用する。

またまた翌年。1994年、私はアクラムさんに手紙を書いた。こうしてまた、長い旅をしてヨルダンに飛んだ。

アクラムさんはあきれているものの、私のコレクションの為に、一生懸命訪ね歩いてくれた。

ベールはアラビア語でブルカ。イスラムの方は、国によって形は違うが、ブルカをかぶって肌を見せない。コーランに、こう書かれている。

「身内以外の男性の前では、つつしみ深く目をふせて、陰部を大切に守り、胸にはおおいをかけ、身のかざりを見せてはいけない」。

どの国もイスラムの人は外出時ベールをつけ、帰宅したらベールをとる。

13億とも14億ともいわれるイスラム教徒は、1日5回の礼拝の義務がある。

朝の礼拝を知らせるアザーンの半音階のよびかけが聞こえると、私はいつも遠いところへ来たと思う。

1993年の大晦日はシリアのアレッポで迎えた。

シリアの衣装の調査でお世話になったダマスカス大学考古学のハニ・ザローラ教授にも手紙を出したが、もはやシリア北部は戦場だ。日本から遥かな国、日本からの手紙が届くことはない。

ISIL(イスラム国)は、祈りとともに暮らす人々の静かな暮らしを壊していく。

人類の遺産は、人類が生きて、考えて、努力して来た証しだ。

シリアには、砂漠にパルミラの遺跡がある。紀元前1世紀から3世紀まで栄えた隊商都市だ。

観光客を相手に、古いコインを売るおじさんは、ラクダの背にお客をのせて10ポンド(日本円で30円)。ささやかな商いで、砂漠に生きる。

手から手へ。雪のシリア砂漠でおじさん一家は無事だろうか。

 

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市田 ひろみ
  • 服飾評論家

重役秘書としてのOLをスタートに女優、美容師などを経て、現在は服飾評論家、エッセイスト、日本和装師会会長を務める。

書家としても活躍。講演会で日本中を駆けめぐるかたわら、世界の民族衣装を求めて膨大なコレクションを持ち、日本各地で展覧会を催す。

テレビCMの〝お茶のおばさん〟としても親しまれACC全日本CMフェスティバル賞を受賞。二〇〇一年厚生労働大臣より着付技術において「卓越技能者表彰」を授章。

二〇〇八年七月、G8洞爺湖サミット配偶者プログラムでは詩書と源氏物語を語り、十二単の着付を披露する。

現在、京都市観光協会副会長を務める。

テレビ朝日「京都迷宮案内」で女将役、NHK「おしゃれ工房」などテレビ出演多数。

著書多数。講演活動で活躍。海外文化交流も一〇六都市におよぶ。

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