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2019年07月17日

第33回 「おんな城主」岩村城~人物を知るのも城巡りの醍醐味

所在地=岐阜県恵那市岩村市字城山

種類=山城

別名=霞ヶ城

 

もう一度訪れたい城の一つが岐阜県にある岩村城。私が女城主という言葉を初めて知ったのはこの城で、NHK大河ドラマの「おんな城主・直虎」よりももっと以前のことでした。城に行く時は、その創りを体感するのも醍醐味ですが、時代と共に変わる城主の国の治め方を追い、「人」を知るのも学びとなります。

岩村城は三河と美濃の境にあり、信濃国からは木ノ実峠を越える街道の要地にある、標高約717mの日本で一番高い場所にあり、備中松山城、大和高取城と並んだ日本三大山城です。建物の遺構はありませんが、うっそうとした木々の中の石垣が出迎えてくれます。石垣は山全体に巡らされ、総延長は1.7㎞。約94万個の石が使用されているといわれています。山麓にあった居館群は明治に焼失し、平成二年に表御門と太鼓櫓が復元されています。

城の創築の時期は不明で、遠山氏の居城として永正年間(1504~1521年)頃と考えられています。元亀3年(1572年)城主の遠山景任が後継ぎの無いまま没すると、その未亡人が当主となります。名はおつやの方。織田信長の叔母との説が有力とされる夫人です。

信長は五男の御坊丸を養嗣子として岩村城に送り込みましたが、御坊丸が幼かったため、おつやの方が当主の座を引き継いで女城主の誕生となったのです。信長の叔母とされる女城主はどんな女性であったのか……。

織田、武田の二派に割れる家臣を織田派にまとめるためのキーマンであったとされています。しかしそれもつかの間、同年の秋、武田の家臣秋山信友に岩村城は囲まれ、信友とおつやの方の結婚が条件で和議が成立して、秋山信友が城主と替わります。なぜ結婚という形式を取ったのかは定かではありません。

小説にもなったおつやの方は「修理夫人」「お直の方」と名も様々。出身も信長の叔母、女弟という説、その最後も信長によって成敗されたとあるのみです。女城主の伝説は史料もなく謎に包まれているのですが、戦国を生きた才女は地元の誇りになっています。(老友新聞社)

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