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コラム

2016年10月03日

「生きた証」~形見の中に詰まった故人の物語

福岡県 S・T

はるか遠い日の事。外出の仕度をしていた母が、

「この帯はヨッチャンの形見たい」

と呟きながら帯を締めていた。

その時は何気なく聞いていた言葉だったが、老いた今、しみじみと心に沁みてくる「形見」という言葉である。

今日、私は黒地に白い模様の上衣を着ている。この上衣は義姉の形見となってしまった品なのだ。

 

ある日。姉を訪ね、帰ろうとした際、小雨が降りだし、肌寒くなった。私は半そでのシャツ姿だったため、姉が

「これを着てお帰り」

と出してくれた。

「あなたにあげる。私は少し太ってきつくなっているから、着て頂戴」

そうして、もらってきたものだ。

義姉は私より若かったのに、先に逝ってしまった。それからもう3年。この服を身に付けると、姉との事を思い出し、一人懐かしむ。

 

昔は人が亡くなると初七日や四十九日に親しい人に形見分けをしていたのを覚えている。時代と共に、また物が豊かになり、いつのまにかそういった風習は消えてゆく。

今、目の前に透明のガラスの四角い置物がある。これは職場の友達がくれたものである。

「好きで買って使っていたけれど、あなたが兎年と聞いたから、あげる。使って。」

と、頂いたものだ。ガラスの4面に、異なる兎の姿が見える不思議なガラスの置物である。

この友達も昨年逝ってしまい、形見になってしまった。目にするたびに生前の事が思い出され、懐かしく、また励まされたりもする。

形見って、こんなものだな……遠い日の母の呟きを今もしみじみ思う。

第三者にとっては、古びた上衣、一個のガラス玉かもしれないけれど、私にとってはこれまで生きてきた中での物語がいっぱい詰まった大切な品である。

逝った人の肉体はこの世に無いけれど、私が生きて居る限り、この二人の事は私の心の中で生きている。形見は触れるたび、目にするたびに思い出を様々に蘇らせてくれるのだ。(老友新聞社)

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