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コラム

2016年12月08日

太平洋戦争開戦~12月8日の記憶

神奈川県 K・N

 昭和16年は太平洋戦争勃発の年である。尋常小学校が国民学校に改称され、軍国思想教育がますます強化された。

私が中学校に進学した頃には、まだ大正デモクラシーの先生が何人か居られたが、次々と辞めさせられ、退役軍人の軍事訓練教官が配属された。やがて治安維持法で思想犯の予防拘束が認められ、言論統制が強まると、自由闊達だった校風は沈鬱な雰囲気に包まれた。

さらに文部省通達で学校の制服が統一されると、伝統ある我が校の黒い詰襟に金ボタンの制服は、カーキ色の国民服と戦闘帽に変わった。それにもまして、我らがマドンナ、常盤女学校の、あの白いセーラー服に赤いタイ、紺色のスカートの清楚な姿が、顔が半分ほど隠れる防空頭巾とモンペ姿になったショックは思春期の我々にとっては戦争よりも大事件だった。

 

12月8日…それは重大発表の日

昭和16年12月8日の朝は寒かった。登校すると「重大発表がある。全員集合せよ」との校内放送が流れた。生徒はラジオの臨時ニュースで開戦は知っているので、校長の話は決意表明にとどめ短かったが、ちょび髭の軍事訓練教官はここぞとばかりに訓示を垂れた。

先日、読んだ『畏るべき昭和天皇』(松本健一著)によると、日清、日露、太平洋戦争で発布された開戦詔勅の前文が、全く酷似しているのに唖然とした。このような語呂合わせの詔勅を至上命令に、戦場の露と消えた将兵、戦禍で亡くなった国民を思うと胸が痛む。

百の国には百の正義があり、自由と平和を大義名分に戦争が始まる。太平洋戦争も日本が「東洋平和」、アメリカは「日本の侵略から中国を守る」を掲げた。戦記物は元参謀らの自慢話が目に余りドキュメンタリー作品は戦争を美化している。

ザクッと軍靴の音が聞こえる昨今、「一兵卒の私の悲惨な戦争体験にも耳を傾けて!」そんな思いから語り部となり、後世の人に伝えるのが私の義務だと思っている。(老友新聞社)

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