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コラム

2021年01月28日

「忘れられない最後の一言『歩きたい』」~本紙読者投稿より

私の義父は戦時中、リウマチを患い、手足も曲がり不自由でしたが、農業は適当にこなしておりました。

しかし50歳の時、転んで骨折し手術をしました。5か月の入院で歩行できなくなり、部屋のあちこちに居座り、もちろん食事や排せつなども自分の部屋でしていました。
現在のような福祉、介護の援助も全くなく、車いすなど想像もしない時代でした。毎日外を眺め、時々私がお風呂へ抱いて運び、冬の暖かい日には背負って日向へ連れて行きました。

運動をしない体は骨ばかり目立つようになり、辛い20余年の日々でした。
2月に風邪をひき、完全に寝込み、義弟妹も見舞いに来ました。

その数日後、夕食の後でした。見守る中で一言

「歩きたい」

「ええっ!」と驚く私たち。夫は「よし、俺が抱いて歩いてやる!」と、母の身体を抱いて家の中を回り始めました。息子に抱かれた義母はうっとりとして「ああ気持ちいい」と。

翌早朝、眠るように77歳で逝きました。長い歳月、ぐち、いやみも言わず我慢し、最後に万感の思いを「歩きたい」の一言に込めたのでしょう。
夫も、義母のこの姿を見ていたので、晩年、歩く努力を欠かしませんでした。逝く前夜の食事にも二本杖で出てきました。

翌昼、子等と話し中に容体が急変して、88歳、「延命治療御免候」の遺書を残して逝きました。

私は「歩きたい」の一言がいつも頭にあります。腰を病んでいるため押し車と共に、川堤を毎日、桜の枝先を眺めながら「歩きたい」の声に押されて散歩をします。そして「今年も歩くぞ」と自分に言うのです。(静岡県 S・O)

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