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コラム

2017年01月26日

身を挺して村を救う…唄い継ぎたい「沢内甚句」

岩手県 R・K

民謡『沢内甚句』発祥の地で生まれ育った私。旧沢内村の隣村、湯田村という小さな山峡の町です。10年前に町村合併により「西和賀町」という町名になり現在に至っております。

人口は6千人を割るのも年内かというほど過疎の町。かつては鉱山が数か所、温泉もあり、働く場所も多く、それは賑わったものです。

やがてダムの建設のため集団移転があり、500戸も北上方面に移転し、それが過疎の始まりだったと思います。50年後にこんな現状になるなんて誰が想像したでしょう。

建築ラッシュで本当に忙しかった当時、酒の席では、今と違ってカラオケも無く、手を叩いて民謡を歌いました。

歌い出しはやはり「沢内甚句」でした。私は大工なので家の建前や完成祝いの席では真っ先に歌わされ、心地よく酒に酔った。

ある時、やはり建前の現場で私が沢内甚句を歌った際、その中に民謡の先生がいたのですが、「本場の歌は初めてなのでもう一度聞かせて下さい」と言われ、驚きました。

今年の敬老会でも、座を盛り上げるひと時に民謡の独唱をさせていただきました。酒に目の無い人間と思われた方がその座を楽しくさせることができる。それは長年付き合った酒が教えてくれました。酒による失敗は無く、飲む程に頭が冴えてくるほどです。

昭和一桁生まれの私、体のことを気にかけ、最近は付き合い程度と決めていますが、酒好きの看板を背負っているため、何か用事を頼まれたお礼などに酒やビールを頂くので、これもまた悪くないと思っている。

 『沢内甚句』は、年貢米の代わりに村を救うために殿様に上げ申した「お米(よね)」という村一番の娘の深い慈悲の物語。地元で細々と歌い継がれていたものが、終戦後に全国的に有名になり、岩手を代表する民謡にまでなりました。故郷を離れた地で聴くと、ぐっと来るものがあります。

今は民謡を歌う人は少なくなりましたが、私は酔いに任せて歌い続けたいと思います。

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