コラム
水面に映るゆらぐ月を愛でることが江戸っ子達の粋~「二十六夜待」連載41
江戸には、名だたる月見が三つあると言われています。
8月15日は十五夜「中秋の名月」、9月13日は十三夜「後の月」、十五夜だけの月見は「片見月」といって縁起がよくないとされていました。このふたつの月見と、もうひとつ、あまり知られてはいませんが、7月の「二十六夜待」というのがあります。
「江戸にては、晩景より、高輪および深川須崎等に諸人群衆して、二十六夜の月の出を拝す」
と記録が残っています。
他の二回の月見と比較すると「二十六夜待」は信仰的な意味が強く、月の光の中に阿弥陀如来(世の中を明るく照らす仏様)、観音菩薩(人々の願いを聞いてくださる仏様)、勢至菩薩(苦しんでいる人々を救ってくださる仏様)の三尊が現れるとされ、それらを拝むことが目的とされていました。
広重の描いた「洲崎十万坪」は鷲が羽ばたき、海からの景色が筑波山まで広がり、斬新で迫力がありますが、「江戸名所図会」に描かれている洲崎は弁財天の境内に茶店のような場所があり、全く雰囲気が異なっています。
また高輪は、現代の海の家のように、浜辺には茶屋、縁台が無数に並んでたいそうな賑わいで、人もあふれ、海には沢山の月見船が繰り出していて、まさに二十六夜待その夜の様子が描かれています。
二十六夜は新月の直前で、細い逆三日月が夜明け間近に東の空に昇ります。満月とは異なって繊細でやわらかい光なので、月見をするのならば海辺がよしとされていたのでしょう。
この時代はさらに、月見は船でというのが月の出待ちで、水面に映るゆらぐ月を愛でることを江戸っ子達の粋としていたのでしょう。行き交う月見船から眺める空の月、また海の月はそれぞれ風情があり、より一層海上からの月見は醍醐味があったはずです。
月見のポイントとなっている、高輪の近くには品川遊郭があり、深川は粋な辰巳芸者衆の街です。二十六夜の月が出るのは明け方近くの頃ですから、この日、江戸の人は心おきなく月の出までは賑やかに、出の瞬間は胸の内に秘めた願い事をしたのでしょうか? 終電車も気にせずに、いつもと違った形の月の光の中に三尊を拝む……なんと豊かな時間なのでしょうか。明治になってこの習慣はすっかり無くなってしまいましたが、毎日が気ぜわしい今だからこそ、一人静かに月の出を待つ時間を楽しむのもよいかもしれません。
(本稿は老友新聞本紙2014年8月号に掲載した当時のものです)
この記事が少しでもお役に立ったら「いいね!」や「シェア」をしてくださいね。