コラム
江戸の秋の大イベント「お月見」…満月以外の楽しみも?連載18
お月見はもともと中国から来た風習で、赤い鶏頭の花を飾り、月見の菓子月餅を食べていましたが、日本に渡来し、すすきと団子に変わりました。
江戸時代に入ると盛んになり、初めの頃は上流階級の楽しみでしたが、中期頃は庶民の生活も安定し、余裕も出来てきたので月見の風習が広がりました。
団子は「十五夜」にちなんで一人15個食べたともいわれていますが、お供えする団子は別物で、三寸(約10センチ)程の大きな物でした。江戸ではこれを15個飾りましたが、地域によって数はまちまちで、丸い形ではなく少し先を尖らせた小芋に似せた形のものも飾っていました。
すすきは秋の七草とセットになって、当時は一面のすすきの原であった武蔵野から売りに来ており、すすきを飾ることで武蔵野の面影をしのぶという意味もあったようです。
売りに来るのは8月の14日、15日の2日間限りで、一束は32文ほどしました。蕎麦の値段が16文なので、高い買い物ですが、縁起担ぎの意味もあり、季節限定の際物なので、江戸っ子は日々質素でもポン!と買ったのでしょう。限定品に弱いのは今も昔も変わらない日本人の特質なのでしょうか……。
同じ読み方で「中秋」「仲秋」があります。中秋は8月15日を意味し、仲秋は8月まるまる1ヶ月です。旧暦では3ヶ月ごとに季節が区切られ、7~9月が秋、その真ん中の8月なので仲秋ということです。
8月15日の「望月」は「芋名月」ともいい、ちょうど芋の収穫期で団子とともに収穫した芋も月にお供えしたり、里芋を「きぬかつぎ」にして食べながら月の出を待ちました。
9月13日は「十三夜」で満月よりも少し欠けています。枝豆を食べながら待つので「豆名月」、また栗を供えるので「芋名月」とも呼ばれています。十五夜と十三夜の片方だけを見るのは「片見月」といい縁起が悪いとされています。
その次が「十六夜」。「いざよう」とはためらうという意味です。満月よりも少し出が遅く、ためらっているようだからでしょうか。その次が「立待月」。立って待っている間に月が出ます。物事が早くはこぶことを「たちまち」というのはここから来ています。
18日は「居待ち月」。座敷で待っていると月が出ます。19日は「臥待月」。座敷に横になって月を待ちます。更に月の出が遅くなると「更待月」といい、夜も更けないと月は出てきません。
実は江戸で最も賑わったのは「二十六夜待ち」です。八つ(午前2時)の頃やっと出る月を、大宴会を開いて待ちます。握りずし、天ぷら、蕎麦、団子などの屋台も並び、「月見舟」や料亭は大繁盛で、一年前から予約を取るといった状態でした。二十六夜待ちは、観音様、阿弥陀様、勢至菩薩の三尊の光を見ることが出来る信仰の対象にもなっていて、更に女性達は子宝、子育ての願もかけ、秋の収穫の時期なので農耕の感謝の気持ちも込められ、江戸ではいろいろな形の月を愛でていたのです。(老友新聞社)
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