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コラム

2019年10月28日

一生懸命やっていれば、いつか誰かがみとめてくれる…「一枚の葉書」

「ひろみが女優なんて、無理やで」
「親も、何考えてんにゃ」
親戚も含めて、周囲のほとんどが反対する中で、私は女優になった。
大映京都撮影所。半世紀前、映画は最大の娯楽であり、撮影所も活況を呈していた。
そんな中、私はお稽古していた茶道の先生のご推薦で、ひょんなことから女優として全く新しい道を歩くことになった。当事、5人の新人女優が同じスタートを切った。
女優としての基礎もなく、きもの姿の動きも決して上手いとはいえなかった。言葉使いや動きの未熟さはともかく、私の顔は外人っぽくて、化粧をしてもしなくても、オペラのマダムバタフライの如しだった。
でも一生懸命やっていれば、いつか誰かがみとめてくれると、朝早くから日本髪を結ってもらい、きものを着せてもらい、一生懸命だった。

そんなある日。それは相撲小屋のシーンだった。見物衆200人は、本場のきものにちょんまげ。アルバイトの人達だ。
取組みが終わったところで、見物衆が大爆笑というシーンだ。
映画は、監督の「ヨーイ、スタート」のあと、カチンコから映像が始まる。
私は一生懸命頑張ろうと、構えていたのだろうか、みんなより早く、「ヨーイ」で笑ってしまった。
私の笑いはすっとんきょうで、調子はずれの下手くそで、一瞬の後、全員の大爆笑となった。
私は恥ずかしくて、どうしていたのか。カメラはずっと回っていた。
相撲のシーンは、私がとちったお陰で、一回でOKになった。
「わざとやりよった」
「一人だけ目立とうと思って……」
などと悪口を背に、帰ろうと思ったら
「市ちゃん、監督が呼んでる。監督室へ行って」
「なんで……?」
助監督は自転車で行ってしまった。
監督が呼んでるって
??

そっと監督室の戸をあけたら、監督が煙草をのんでおられて、穏やかな顔で
「市ちゃん、おおきに。皆よう笑ってくれよった。一人二人の時はみなようやってくれよるけど、ぎょうさんの時はまじめにやってくれへん。今日はおおきに」
思いがけない言葉で、涙が落ちそうになった。
一生懸命やっててよかった。私は監督の次の作品で、小さな役をもらった。

そして昭和33年、東京へ転籍、やっと現代劇『手錠』でデビューすることになった。
「個性的な女優現る。久々のバンプ女優」と書いてもらった。コマーシャルもいろいろさせてもらった。
しかし、会社がせっかく力を入れてくれたのに、私には演技力がなかった。
むつかしい悪女役が多く、煙草もお酒ものめず、会社の期待にこたえられず、ついに引退することになった。
とはいうものの、仕事はその後、きものの着付け、世界の民族服の研究、デザイン。著書もやがて百冊になろうとしている。
はじめて『花嫁さん気をつけて』というエッセイを出した時、新聞に新刊として紹介してもらった。

それから一か月ほど経った頃、一通の葉書が届いた。
「出版おめでとう。僕は市ちゃんが笑ってくれた日のことを忘れません」
と書いてあった。
監督は覚えていてくれたのだ。嬉しさと懐かしさがこみあげた。
(本稿は老友新聞本紙2018年5月号に掲載した当時のものです)

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市田 ひろみ
  • 服飾評論家

重役秘書としてのOLをスタートに女優、美容師などを経て、現在は服飾評論家、エッセイスト、日本和装師会会長を務める。

書家としても活躍。講演会で日本中を駆けめぐるかたわら、世界の民族衣装を求めて膨大なコレクションを持ち、日本各地で展覧会を催す。

テレビCMの〝お茶のおばさん〟としても親しまれACC全日本CMフェスティバル賞を受賞。二〇〇一年厚生労働大臣より着付技術において「卓越技能者表彰」を授章。

二〇〇八年七月、G8洞爺湖サミット配偶者プログラムでは詩書と源氏物語を語り、十二単の着付を披露する。

現在、京都市観光協会副会長を務める。

テレビ朝日「京都迷宮案内」で女将役、NHK「おしゃれ工房」などテレビ出演多数。

著書多数。講演活動で活躍。海外文化交流も一〇六都市におよぶ。

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