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コラム

2020年10月26日

伝統を守り受け継ぐということ。日本にも課されている難問。「赤土の道」

「いつかお逢い出来ると思っていました」
運転手さんは笑顔でこう言った。

「僕はメキシコにいたんですよ」
「私もオアハカにいました」
「僕もオアハカのチノチトランデルバイエにいたんです……」
「えー?あの村にいたという人に初めて逢いましたね。そこで何をしておられたのですか?」
「市田さんと一緒。織物の作品を作っていました。あの村で市田さんとお逢いしているし、市田さんの本も持っているし……」

運転手さんとの話はメキシコオアハカ州、チノチトランデルバイエの思い出話に広がっていった。

     ◇

赤土の日干し煉瓦の家並……この小さな村はどの家からも機音が聞こえる。
羊毛、木綿などの糸で彼らの伝統的な文様を、広巾の地機(じばた)で、器用に織ってゆく。
メキシコといっても31種族がそれぞれ独自の伝統的な文様を守り伝えている。7~8歳にもなれば織り方やパンを焼くこと、下の兄弟の子守をすることなど、家族の賑わい、いたわりで繋がっている。
エスニックなサラッペ(敷物)は良く売れた。

「市田さんは、販路は関西が多かったんですね。僕はフロリダ、ニューヨーク。東でした」

イサクバスケスさんのお家は2~3年前にお訪ねした。日本和装協会のメンバー40人をつれて、チノチトランデルバイエの村に行った。
おばさんもおじさんもびっくり。30年ぶりの再会を果たした。何より嬉しかったのは、長男が20歳になり、親の仕事を継いでいることだった。私が行っていた頃はまだ子供だったけど、私のことは親から聞いているのだろう。
同行のメンバー達にコチュールから赤い色素を取る方法や、トゥーステペック地方やテワンテペク地方の織物の伝統的な文様について語ってくれた。

「この村の何人かの青年達は、都会へ出て行った。しかしあいつは良い職人になってくれた」

どこか京都に似ていると思った。伝統を守ろうというのはどの地域でも同じ問題だ。でも日本に日本の文化がある以上必要とされる。

     ◇

「6月に京都へ帰ってきました。そして父を見送りました。また9月にあの村へ帰ろうと思います。市田さんもまた来てくださいよ。みんな喜びますよ」

彼はまた9月にあの村へ帰るのだ。
電気の無かった村。機音の聞こえる日々はどんな歳月を迎えているのだろうか。
彼にとって、あの赤土の村がふるさとなのだ。彼はインディオの、愛する家族がいるのだろうか。
電気、ガス、水道の無い暮らしは、今もあたり前のごとく過ぎてゆくのだ。

このごろ「こんなところにポツンと一軒家」という番組があるが、台風や地震など激しかった平成30年も過ぎて、安らかな31年を迎えたいものだ――と思いつつ、私はあの赤土の細い道や、おばさん達の村を思い出している。
(本稿は老友新聞本紙2019年2月号に掲載した当時のものです)

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市田 ひろみ
  • 服飾評論家

重役秘書としてのOLをスタートに女優、美容師などを経て、現在は服飾評論家、エッセイスト、日本和装師会会長を務める。

書家としても活躍。講演会で日本中を駆けめぐるかたわら、世界の民族衣装を求めて膨大なコレクションを持ち、日本各地で展覧会を催す。

テレビCMの〝お茶のおばさん〟としても親しまれACC全日本CMフェスティバル賞を受賞。二〇〇一年厚生労働大臣より着付技術において「卓越技能者表彰」を授章。

二〇〇八年七月、G8洞爺湖サミット配偶者プログラムでは詩書と源氏物語を語り、十二単の着付を披露する。

現在、京都市観光協会副会長を務める。

テレビ朝日「京都迷宮案内」で女将役、NHK「おしゃれ工房」などテレビ出演多数。

著書多数。講演活動で活躍。海外文化交流も一〇六都市におよぶ。

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