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2019年04月19日

「教育爆発」江戸時代の就学率は世界一?~2月の寺子屋入門日~連載35

寺子屋は江戸時代庶民の初等教育の発信地。18世紀になると教育熱も高まり、急速にその数も増えていきました。

「教育爆発」と呼ばれています。その理由はいろいろありますが、大きな要因としては幕府の文書主義だといわれています。街中の辻に立てられる木製の札型の通達文書になっている高札(こうさつ)が読めなくては生活し難い世の中でしたし、訴訟についてもほとんどが文書でなければ受け付けなかったからです。

意外にも江戸時代は訴訟の多い時代でした。また貨幣経済が発達して利子の計算が必要になったり、印刷技術の進化と共に庶民向けに娯楽本が数多く出版されたために文字が読めなければ楽しむ事が出来ず、時代の流れによって「読み書きそろばん」が必要となり寺子屋の増加に繋がりました。19世紀になると江戸の町だけでも寺子屋への就学率は70~85%だと言われています。この数は世界一と言える位です。

寺子屋の数は日本全国では5万以上あったと考えられ、だいたい十数人が一般的で師匠の自宅や、近くのお寺や神社などを教室として使用していました。

寺子屋への入学日は、商人の家では比較的商いの暇な2月、8月が多く、2月は初午の日と定められている所もあった様です。入学試験は特に無く、唯一の試験と呼ばれるのは場所によってですが〈一刻ほど大人の話を黙って聞く〉というものがあり、居眠りとあくびは許されていたと言われていますが、一刻を今の時間に直すと約2時間ですから、大人でもなかなか厳しいかと思います。

また入学時には文箱と天神机を持参するのが慣例となっていました。江戸東京博物館へ行く通路にはこの様子が描かれている絵がございます。

江戸の子供はだいたい6歳になると近くの寺子屋に入学し、特に卒業制度が無かったのでおおよそ4~5年で読み書きが出来る様になると自然と卒業になり通わなくなりました。入学金を「束脩」授業料を「謝礼」と呼んでいましたが、それは各寺子屋や地域によって様々で、親の経済状態によっては米や農作物で収める事も出来ました。

 

当時から重要視されていた「個性尊重の教育」

子供達の年齢もバラバラで、6歳から14歳位の子供が一緒に学ぶというスタイルの所がほとんどで、今のように年齢別といった所はありませんでした。年齢に上下があるので上の子は下の子の面倒を見、また下の子は上の子にしてもらった事をまた次の子達にしてあげるなど、寺子屋で世間を学び精神的にも成長する場所でありました。近所に住む子供達が多いので昼食は自宅でいただくのがほとんどになっていました。

個々に渡った細やかな指導が行き届き、武士の子には武士の、商人の子には商人へ相応しい教えがなされ個人授業のようで、その子に合った内容の濃い授業がほどこされたからこそ、横一列ではない個性を尊重した教育が「教育爆発」と言われたのでしょう。

今、寺子屋教育が見直されています。先生の目が個人個人に注がれ能力を育む教育がこれからの日本では大切なのではないでしょうか? 知識ばかり詰め込むのでない良い意味の「教育爆発」に期待したいです。(老友新聞社)

 

 

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酒井 悦子
  • 伝統芸能コーディネーター / 筝曲演奏家

幼少より生田流箏曲を学び、現在は国際的に活躍する箏演奏家。

箏の修行と同時に、美術骨董に興味を持ち、古物商の看板も得る

香道、煎茶道、弓道、礼法などの稽古に精進する一方で、江戸文化の研究に励み、楽しく解りやすくをモットーに江戸の人々の活き活きとした様子と、古き良き日本人の心を伝えている。

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