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コラム

2018年03月28日

第24回 「袋の小豆」の逸話が残る、信長・秀吉・家康が勢ぞろいした城「金ヶ崎城」

所在地=福井県敦賀市
種類=山城

福井県敦賀市の市街地北部、敦賀湾を一望する突き出た半島の小高い山に金ヶ崎城はあります。
鎌倉時代に築城され、南北朝の動乱では新田義貞が足利軍と戦った古戦場です。激しい戦いの後、尊良親王達は籠城から半年後、城に自ら火を付け自害したため、中腹の金崎宮に祀られています。
戦国時代には、越前朝倉氏の南の最前線として織田信長との戦場の場となり、「つはものども」の逸話を残しています。
元亀元年(1570年)織田軍は越前討伐のため京を出立し、敦賀に達するとすぐに手筒山の砦を攻撃し、城内に攻め入り千以上の敵兵を打ち取ったのです。

お市の方の「袋の小豆」の逸話

その後信長は、若狭と越前の国境の木の芽峠を越え朝倉軍の守る金ヶ崎城に矛先を向けた時、妹婿である浅井長政の裏切りを知るのでした。
ここで、お市の方が機転を効かせ兄の信長に手紙の替わりとして陣中見舞いと称して届けたのが「袋の小豆」です。小豆を袋に入れ上下を紐で縛って、包囲されていることを知らせたのです。
事態を確信した信長は撤退を決意し、この時、殿(しんがり)を務めたのが木下藤吉郎、後の秀吉です。このおかげで無事に帰京することが出来たといわれています。これが有名な「金ヶ崎退き口」の逸話として残っています。殿という大役を買って出た秀吉を補佐していたのは徳川家康でした。

信長、秀吉、家康と金ヶ崎城を巡る出来事は、それぞれの武将にとって天下取りの拠点となっていたのです。

4面「気ままに城巡り24」29年11月号写真「月見殿から望む敦賀湾」

当時の「熱き思い」に触れながら、金ヶ崎の最高地である南北朝時代、金ヶ崎城本丸跡の月見殿からは、戦国時代の武将も眺めた敦賀湾、日本海を一望する事が出来るのです。(老友新聞社)

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