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コラム

2019年04月29日

第32回 日本一の幻の天守~江戸城その弐

前回、天守の基礎知識を書いたので、今回は見た事のない幻の天守のご紹介です。
この春、皇居は日本中が注目した場所です。ここから新しい時代が始まるのかと思うとワクワクします。

家康・秀忠・家光が天守建造

今の皇居江戸城は徳川家康が築いた日本一の城です。
勿論、天守もダントツ日本一の巨大な造りで、徳川三代、家康、二代秀忠、三代家光の三人の将軍がそれぞれに建て替えています。

一番立派な天守を建造したのは三代家光で、1637年(寛永14年)に建造した寛永天守は高さ約58メートルと記録されています。これは20階建てのビルに匹敵します。
エレベーターなど当然ない時代ですから、想像するだけで登るのは難儀です。
姫路城の大天守よりも、幅も高さもはるか上をいっており、当時の高層建築も限界といわれた寛永天守は、銅葺きの銅板張の真っ黒な外観。家康が築いた「まるで雪化粧をしている富士山」と比喩された、白漆喰の壮麗な外観とは正反対ですが、江戸城下から見上げる真っ黒な外観は相当な迫力があったことでしょう。

高さ58メートルの「寛永天守」
明暦大火で焼失

ですが、残なことに完成から20年後の1657年(明暦3年)の振袖火事といわれる明暦の大火で焼失しています。こんな建造物をも焼失させる火事は本当に恐ろしいです。
焼失した天守を再建するべく計画を立てたのは四代家綱でした。しかし「財政難のご時世に、実用性のない天守は不要」ということで、再建は見送りとなりました。この的確な判断を下したのは、家光の異母兄弟で後の会津藩主になる保科正之です。

天守の存在は徳川265年間でわずか50年

1868年(慶応4年)の無血開城までの徳川265年の間で、たった50年位しか、江戸城に天守は存在しておらず、しかもその間3回も建て直された幻のような存在なのです。現在は何事もなかったように天守台だけが残っています。

高層ビルが立ち並ぶ大都会の江戸城内郭周辺ですが、当時の姿が跡かたもない都会だからこそ、過去の歴史に思いを寄せて現在と比較することで不思議な旅が出来るのかもしれません。そして実際に歩いてみるのが一番です。天下普請の江戸城は、今でも徳川将軍家の栄華を充分に感じ取ることが出来るはずです。(老友新聞社)

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