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コラム

2020年06月15日

第39回 桜の名所として名高い「高遠城」 ~江島と桜~

所在地=長野県伊那市高遠町東高遠城跡
種類=平山城
別名=兜城

「牡丹に唐獅子、竹に虎、虎を踏まえた和唐内、内藤様は下がり藤……」
これは江戸時代に流行った尻取り唄です。この唄の中には桜の名所で有名なある城に関連した部分があります。それは、「内藤様は下がり藤」この部分です。内藤家は江戸末期、高遠藩の藩主でした。
ということで、白雪残る中央アルプスの景観と、春になると城跡全体をピンクに覆う明治時代に植えられたタカトオコシヒガンサクラが咲き誇る、桜の名所として名高い高遠城のご紹介です。

ここの規模は小さく遺構もありません。所々に立っている立て札が昔のあり様を偲ばせてくれます。天竜川沿いの伊那盆地の突端を利用した城で、三峰川に面して断崖を背に本丸、それを囲む二の丸、三の丸が配された「後堅固」の構えが縄張りとなっているなかなかの要害です。

天文14年(1545)武田信玄が信州伊那谷に進出し高遠頼継から攻略して築いた城。この時、甲州流の築城技術を駆使して城の設計をしたのは軍略家として有名な山本勘助です。
信玄の五男であった仁科盛信が城主の時、織田信長の子の信忠に攻められてあっけなく一日で落城してしまいます。山本勘助の築城術も織田軍の鉄砲という新兵器を使う用兵術の前には成すすべもなく、一族郎党、子どもまでも討死したといわれています。

この城跡のもう一つの見どころは、大奥の有名な挿話「江島生島」。六代将軍家宜の側室月光院の女中であった江島が山村座の役者であった生島と密通の罪で高遠に流された「江島お囲屋敷」です。

中を見ると八畳一間の簡素な住まいで、華やかな大奥とは別世界。四方を山に囲まれ冬は厳しい寒さの高遠。江島はどんな気持ちで足元を流れていた三峰川を見ていたのでしょうか。33才から61才まで28年間の幽閉生活で一切愚痴はこぼさなかったといわれています。
城址公園入口に「天下第一の桜」という内田孝蔵医学博士の碑があります。内田博士は日本で初めて二重瞼の手術を開発した人、今流行りのプチ整形の元祖です。

お城の楽しみ方は遺構を見るだけでなく、その城にまつわる物語を訪ねるのも一つでしょう。高遠城は小一時間もあれば回れる城です。

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