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コラム

2021年01月06日

「茶部屋に関する遠い記憶」~本紙読者投稿より

私が主人の元へ嫁いだ時代は、茶部屋に「ほいろ」(赤土で作ったお茶を揉む台)があって、そこで摘んだお茶を揉んだり仕上げをしたりしていました。そして椎茸も「やき」といって、広い炭火の周りへ長い竹串に生椎茸を挿して乾燥させ、それを問屋へ下ろしておりました。

戦争の時代、お茶揉みはご近所の7~8軒共同で工場を作り、一緒に仕事をしました。個人でお茶の機械を導入し、製品にするようになったのは終戦直後からです。

うちでも茶部屋に機械を入れて、夫が揉み始めましたが、体を壊してしまい、お茶揉みの従業員を頼むようになりました。その後、生葉の段階で受け取ってくれる工場ができましたので、全部生葉で下ろすようになり、仕事が楽になりました。そのため茶揉み機もやめて、「ほいろ」も崩してしまい、茶部屋は広くなりました。

うちは田んぼも多くあり、稲藁もあるので、縄ない機を入れて冬場は内職仕事をしました。内職といっても昼間は別の仕事が色々あるので、縄ないは夜の仕事です。毎晩十一時まで働き、縄がたまると農協へ下ろしました。また精米機も茶部屋に入れて、家で米を精米して食べていました。

戦争中の話ですが、嫁に行った人が疎開のために戻って来たことがありました。ところがその方は結核を患っており、ちょうど私がお産をするにあたり病人がいてはいけないということで、その方を茶部屋に移したこともありました。その方は2年後、幼子を残して亡くなりました。

今では、家であまり使わないものを茶部屋へ運んだりして、すっかり物置になっておりました。
色々な思い出のある懐かしい茶部屋ですが、今、それを壊してしまう事になりました。少し寂しい思いもあります。黒塗りの膳、赤塗りの膳、懐石膳など、大昔からの立派な物もありましたが、今、茶部屋を壊すにあたり、全部処分してしまいました。戦争が終わり、時代は変わり、そして生活も変わったのだとつくづく感じます。(静岡県 A・O)

 

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