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コラム

2022年04月26日

「戦場での出会いと別れ2―別れ―」~本紙読者投稿より

1月、中国大陸南京城に珍しく大雪の降った年であった。
昭和15年4月下旬、初年兵教育が終了し、我が隊は揚子江北岸で作戦中の部隊に復帰した。教育助手をしていた私たちは総軍新設の金陵部隊に入稿を命じられた。

部隊は南京城外、紫金山の南麗に広がる地、中腹には白亜の中山陵、孫文の墓があった。学校の本館の正面には金色に輝く菊の紋章を仰ぎ見ることができた。

教育訓練は厳しく、8月中旬、私の中隊では朝、元気に演習に出て、夕方に20名近い学生が死亡した悲惨な事故もあった。

11月下旬、最初で最後の外出が許可された、卒業と原隊復帰の挨拶のため、病院に向かう。病院の衛兵所で司令に面会をお願いする。その人はA看護婦である。A看護婦は伝染病の「腸チフス」で入院中だったのだ。

面会謝絶といわれたが、丁寧に事情を説明した。金陵部隊を卒業し、最前線に復帰し、二度と会うことができない。同県人で昔お世話になった恩人である。今生の別れになることと思うので、是非一目でよいので会わせてほしいと必死でお願いをした。
私よりかなり先輩の伍長がしばらく考えていたが、特に司令の独断で、内密に十分だけとう事で面会が許可された。

伝染病棟に入ると、小さな個室で窓は全て幕を張り、薄暗い部屋で一人、A看護婦が寝ていた。

顔を見て、一瞬、これが人間かと思うほど痩せ細り、色も青白く、脱水状態で顔も小さくなり、手は骨と皮だけで、生きている人間とは思えないような姿。可哀想に、もう駄目、助からぬと思った。自然と涙が溢れ出し、止まらなかった。

細い手を両手で握り「Aさん、負けたらいかんで」と、元気で日本に帰り、また会う約束をした。負けたらいかんでと繰り返しながら、二人で固く手を握り、泣いた。

遠い異国の戦地で、親兄弟の看護も無く、一人寂しく病気と戦っているAさんも、大陸の土に返るかと思うと不憫でならなかった。

時間が無く、K看護婦とは会うことが出来ず、後日、手紙で「Aさんを頼む。力になって、励ましてあげてください」と依頼した。

年配の司令が規則を破って許可してくれた厚意に感謝し、厚くお礼を申し上げ、後ろ髪惹かれる思いで病院を後にしたのである。
(香川県 K・Y)

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