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コラム

2023年12月12日

日本橋魚市場〈食材供給と市場役目〉

(本稿は老友新聞2018年11月号に掲載された当時のものです)
何を食べても美味しい実りの秋。日本に生まれて本当に良かったと思える季節になりました。

遂に日本一の魚河岸・築地市場が83年の歴史に幕を下ろしました。私も子どもの頃から馴染みのある土地だけに少し寂しい気がしています。鮮度が命の生鮮食品。今は流通システムが発達して、その日のうちに各地の産物が東京に届く世の中ですが、江戸時代の市場はどの様な役割を果たしていたのでしょうか。

家康により城下町として拡大されたのが江戸の街。幕府や武士層への安定した食材供給することが大きな課題の一つでした。特に生鮮食料品は当時の流通では、魚は近海、野菜は近郊からの供給に頼っていたので、魚市場と青物市場の存在はとても大きいものでした。

魚の供給は、幕府への上納や買い上げ制度の「御菜魚」というシステムがあり、まず江戸城に納めてから、その余剰魚介類が集まった場所が日本橋を中心とした魚市場です。魚市場では押送船が河岸に並び産地から急送した魚が溢れ、それを仕入れに来る小売り、振売り、買い取る問屋、仲買の店で賑わっていた所です。

築地市場の場内、場外のように、直接売り買いに来る人達以外に、いろいろな人達が集まっていました。問屋に従属する小揚、軽子、車力などの荷方労働者、魚市場で働く人達の憩いの場と情報交換の場でもある茶屋や食事処、市場の運営を管理する家守や鳶集団などの多種多用な人々によって魚市場は構成されていたのです。

日本橋魚市場の問屋数は126軒(嘉永4年)、仲買は516人(嘉永6年)という記録が確認されていることから、市場の盛況ぶりが解ります。日本橋以外の魚市場は新肴場(今の京橋辺り。楓川沿い本材木町 鮮魚)、芝雑魚場(鮮魚)、四日市(日本橋川を挟んで魚市場の対岸 塩干物)の3か所です。

野菜は神田市場が最大で、幕末には葉物、根物、果物(水菓子)を扱う問屋が約百件も密集していたといわれています。神田、駒形、千住の市場が、江戸の三大青物市場です。その他江戸各地に問屋は散財していたので、当時の全国の青物問屋総数約290軒から考えると、かなり江戸に集中していたことになります。

今の季節に焼いても、蒸しても、ご飯に炊いても美味しいサツマイモ。やはり江戸でも人々に親しまれ、利権争いが起こるほどの人気ぶり、果物ではみかんとぶどうは特権的な権利を持つ問屋で売り買いされていたようです。

江戸の人口の増加に伴い、東部の低地では豊な水量を生かし芹、蓮根、ねぎ、きゅうり、菜物。西部の武蔵野台地では大根、人参、牛蒡などの根菜類が生産されていました。
 人々のお腹を満たす台所の賑わいは今と変わらず。そして、江戸の人達も私達以上に秋の味覚を満喫していたことでしょう。
(本稿は老友新聞2018年11月号に掲載された当時のものです)

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酒井 悦子
  • 伝統芸能コーディネーター / 筝曲演奏家

幼少より生田流箏曲を学び、現在は国際的に活躍する箏演奏家。

箏の修行と同時に、美術骨董に興味を持ち、古物商の看板も得る

香道、煎茶道、弓道、礼法などの稽古に精進する一方で、江戸文化の研究に励み、楽しく解りやすくをモットーに江戸の人々の活き活きとした様子と、古き良き日本人の心を伝えている。

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