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コラム

2019年09月26日

「箸は人なり 箸の乱れは心の乱れ」!箸について思うこと~連載38

昨年、大学の講義の中に「箸の持ち方」のカリキュラムをいれたところ、今の学生の箸の持ち方、使い方の乱れに愕然としました。しかも目を凝らしていると、多くの学生がペンさえも握ってノートを取っている始末でした。

365日、この国の人ならば必ず食事の度に箸は使うはず。箸の使い方、また食事の仕方で、その方の育ちや家庭を図り、知る事ができるものです。あまりにも身近で、毎日使う箸から、日本文化を今一度考え直してみたいと思います。

箸の歴史を辿ってみましょう。箸は弥生時代から使われており、神の器としての箸から、時代と共に竹、漆塗り、木、躾け箸、カラフル箸、滑り留め付き箸など、生活の中に浸透して現代に至っています。箸を使用する国はアジア圏でも数多くありますが、国を代表する和食においては箸だけで食事をいただき、また自分の箸が決まっているというのは日本だけです。

箸は一膳と数えますが、この「膳」という字は、身体の機能の一部を表す字である「肺」や「腰」のように「月」を持つことから、単なる道具ではなく、身体の一部の優れた機能だと考えられます。ナイフ、フォーク、スプーンのように、切る、刺す、すくうだけの道具ではなく、つまむ、はさむ、おさえる、すくう、裂く、乗せる、はがす、ささえる、包む、切る、運ぶ、混ぜるという12もの役割りを果たす「器官」なのです。

箸の語源はいろいろとあるようですが、代表的なのは大和言葉の「ハ」と「シ」の組み合わせからすると「ハ」は物の両端・物と物との境目。「シ」は物をつなぎ止める・固定する・静止するなどの意味があります。また箸文化の背景には神事はかかせません。卑弥呼のいた頃の日本人は手で食事をいただいていましたが、中国より箸が伝わり、食べるための道具だけではなく、祭祀や儀式に使用され神様にお供えする食べ物(神饌)と同じ食べ物を、神様にお供えする箸(御箸)と同じ箸を使っていただき、神様の力を頂戴するという願いの神人共食という考え方から箸文化は生まれました。

神事や儀式に使用されるのはヤナギやヒノキの素木です。今でもお正月の祝箸が素木の両口箸が使われるのは、神様の御下がりをいただき、神様と共に食事をするという考えからです。

これから社会に出て人の親となる学生達には、身近な箸に興味を持ち、日本の食文化から四季の自然に感謝する心を持ち、日本人としての誇りを持って欲しいと願っています。

箸を使用しないファストフードのような、お腹を満たすだけの食事はなるべく避けて欲しいところです。天地の恵み物の命に感謝し、生命をいただく「食事」の意味を考え、料理を口に運ぶ「箸」を大切に使いましょう。正しい箸使いができることが、食事を作ってくれた人、運んでくれる人、それぞれの人への感謝であり礼儀です。毎日の食事から、相手を思う心が育まれるのではないでしょうか?

「箸は人なり、箸の乱れは心の乱れ」と、師匠と尊敬するある会社の会長から教えていただきました。箸の国の民族として今を生きる私たちは、日本人のたしなみの一つとして正しい箸使いを次世代に伝えなければいけないと確信しています。

(本稿は老友新聞本紙2014年5月号に掲載した当時のものです)

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酒井 悦子
  • 伝統芸能コーディネーター / 筝曲演奏家

幼少より生田流箏曲を学び、現在は国際的に活躍する箏演奏家。

箏の修行と同時に、美術骨董に興味を持ち、古物商の看板も得る

香道、煎茶道、弓道、礼法などの稽古に精進する一方で、江戸文化の研究に励み、楽しく解りやすくをモットーに江戸の人々の活き活きとした様子と、古き良き日本人の心を伝えている。

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