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2021年01月28日

武士と米事情~給料を米でもらい、派手な生活で借金も… 連載54

筝の演奏家として所属している、毎年恒例「くれなゐ楽団」コンサートの会場で、思いがけず「お米」の差し入れをいただき、江戸時代の武士の給料は米であったことを思い出しました。そこで今回は身近な米がどんな役割であったかご紹介いたします。

今の時代は働いた給料が品物という場合はまずないでしょう。ところが、江戸時代は、武士の給料が現金で支払われることは少なかったのです。

旗本、御家人の約1割が「知行地」と呼ばれる領地を与えられて、そこから取れた米を年貢として領民に納めさせ、その米を食べたり、売って現金に替え、また、給料を米で貰って生活していました。
新潟、佐渡、伊豆など全国の天領(幕府の領地)の年貢米は、船などで浅草につくられた米蔵に集まって来ます。この辺りが現在の「蔵前」です。奥州道中の米蔵の前を通る所を「蔵前通り」と呼んだことからだと言われています。
春、夏、冬の年3回に分けて、旗本、御家人たちはここから米を貰っていたので、米価の高い時に米を売れば、それだけ実入り、つまり現金収入が増える計算です。米の値段が物価の基準となっていたので、江戸時代の経済を「米遣い経済」などといいます。

当初、旗本、御家人は供を連れて自ら出向き、米を受け取り売却していましたが、寛文年間(1661~73)頃から、代行業が現れました。「札差(ふださし)」です。札差は米の手形を預かり貰い受け、幕府によって決められたほんの少しの手数料を差し引いて、その米の代金を渡すのです。この札差が後に金融業へと発展してゆきます。

世の中が平和で安定していると生活は派手になり、消費活動が盛んになるのは今も昔も同じです。武士達もその例外ではなく、給料だけでは生活も楽ではなく、借金を始めることとなります。気軽なカードローンなど無い時代ですから、この時に、札差が将来支給される米を担保に貸付をしたのです。
旗本、御家人の給料はまず上がらないので、札差の高金利な借金にますます生活は厳しくなり、首が回らない状態です。それに比べ、札差の生活はどんどん贅沢、そして派手になってゆく時代でした。

この事態に幕府はついに寛政元年(1789)札差に対して天明4年(1784)以前の借金は免除し、利子の金利を下げる「棄損令」を出したのです。このおふれによって帳消しになった借金は180万両以上だそうです。

現金で給料を貰っていたのは下級武士。彼らは米相場で儲けることも、お米を担保に借金も出来ず、更に厳しい生活を強いられ、内職等に励み、細々と生活していたのです。時代劇などで、下級武士の「傘はり」シーンがありますが、これも内職の一つでしょう。

生きてゆくことは食べてゆくということです。いつの時代も並大抵のことではありません。ステージでいただいたお米を前にして、「あー、今月も食べていける」とひと安心です。ありがたや。ありがたや。(本稿は老友新聞本紙2015年9月号に掲載した当時のものです)

 

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酒井 悦子
  • 伝統芸能コーディネーター / 筝曲演奏家

幼少より生田流箏曲を学び、現在は国際的に活躍する箏演奏家。

箏の修行と同時に、美術骨董に興味を持ち、古物商の看板も得る

香道、煎茶道、弓道、礼法などの稽古に精進する一方で、江戸文化の研究に励み、楽しく解りやすくをモットーに江戸の人々の活き活きとした様子と、古き良き日本人の心を伝えている。

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