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コラム

2017年04月06日

第13回 4月6日「城の日」~後北條氏の本拠地!小田原攻めに散る…小田原城

所在地=神奈川県小田原市

種類=輪郭式・平山城

 

小田原城は、1590年(天正18年)に豊臣秀吉の関東征伐で滅亡した後北條氏の城です。

後北條氏というのは、北条早雲、氏綱、氏康、氏政、氏直の五代のことです。

小田原城は、後北條氏が築いた中世城郭と江戸時代に築かれた近世城郭が共存している事と、総延長9メートルもある大規模な「総構」を持つ事が特筆すべきものです。

「総構」というのは、外堀のそのまた外側の外郭で、城下町をすっぽりと囲んだ防衛線のことです。大群を率いて迫りくる豊臣秀吉の攻撃から守るために作った防衛戦略的なもので、完全に城を守るバリアです。城下町まで城域にすれば、敵が攻めて来ても、物資を遠くから運び込まなくても自給自足の生活が出来てしまうのです。

小田原城の総構は日本初にして中世城郭で見事第一位の規模です。秀吉の大群に攻められ、兵力がズタズタになりながらも三か月の籠城戦に持ちこたえたのも、総構があったからだと言われています。

小田原の街を歩いていると、巨大な空堀が部分的に残っている場所があり、その構造と規模が解ります。それは後北條氏が小田原城の防備力に自信を持っていたからです。

箱根の入り口で観光名所の小田原城は、現存建造物はなく、関東大震災で石垣もほとんどが崩れてしまいました。現在は、常盤門や二の丸正面の銅門が復元されていて、典型的な桝形虎口を見ることが出来ます。基本的な登城ルート、正面入り口から進み、馬出門、住吉橋、銅門、常盤木橋を渡って常盤木門へと歩いて行くと、なかなか大変な道のりで本丸まで行く大変さを実感します。現在の天守は1706年(宝永6年)に再建された天守の設計図をもとに昭和35年に復元されたものです。

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