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2018年09月28日

「江戸の花」の代表、朝顔の歴史~連載29

小学校の夏休みの宿題の定番「朝顔の観察日記」。何処でも、誰にでも育てられ、失敗が少なく、美しい花を楽しめ、おまけに種まで取れて、また来年へと続きます。

この朝顔の歴史は以外の古く、今から千年以上前の奈良時代に、遣唐使が中国から日本に持ち帰ったものです。朝顔の種は当時大変貴重なもので、漢方薬として珍重されており、今のように鑑賞用として栽培されるようになったのは江戸時代に入ってからです。
朝顔と言えば夏の花、そして江戸の花の代表でもあります。団扇、扇子、浴衣、風鈴の柄などに多く使われて、いかにも涼しげです。

しかし、あまりにも身近に在りすぎて、以外と知られていない事も多い朝顔。江戸の文化・文政年間と嘉永・安政年間の二度大きなブームを巻き起こしています。

朝顔の種は中国名で牽牛子「ケンゴシ」「ケニゴシ」と呼ばれています。和名は「阿佐加保」と書きますが、朝咲くので後になり朝顔になりました。
またケンゴシの花というので「牽牛花」ともいわれています。七夕の牽牛の花と書くので、有名な入谷の朝顔市は七夕の前後3日間になったそうです。

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入谷の朝顔が有名になったのは江戸末期の頃、当時の入谷は田園で、その土が朝顔作りにたいそう適していた事も要因ですが、ブームの火付けとなったのは「変わり咲き」です。花粉の交配によって二重に咲かせたり、牡丹や桔梗のようにと、いろいろ咲かせることが出来たので、江戸の人々の目・心も釘付けにしたのです。最盛期には一千種類を超え、変化に富んだ朝顔が江戸の町を涼しげに飾っていた様子が目に浮かびます。
今のような大輪咲きも栽培されていましたが、ブームの先端はやはり「変わり咲き」の朝顔だったのでしょう。
しかし盛んに栽培されていた入谷の朝顔も、時の流れで大正2年を堺に姿を消してしまいます。

「変わり咲き」から、いつしか現在のような円形の花へと時代と供に変化を遂げましたが、戦後昭和23年に「世の中を少しでも明るく」と、地元有志の方々の尽力で江戸情緒豊かな夏の風物詩、入谷の朝顔市が復活したのです。

 ここ近年の地球温暖化による夏の猛暑の対策の一つ、緑のカーテンとしてゴウヤとともに朝顔も一般家庭の窓の外に見られる事が多くなりました。
まだ気温が上がらない早朝、カラフルに咲き誇る朝顔は江戸の人々も毎朝楽しんだことでしょう。

私個人としては、ビロードのような深い「江戸紫」の大輪の花が大好きです。子供の頃には毎朝いくつの花が咲いているのか数えるのも楽しみでした。
夏を感じる朝顔は、江戸の頃から多くの人々に愛され、楽しませて来た風物詩として今もしっかりと根付いているのです。(老友新聞社)

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酒井 悦子
  • 伝統芸能コーディネーター / 筝曲演奏家

幼少より生田流箏曲を学び、現在は国際的に活躍する箏演奏家。

箏の修行と同時に、美術骨董に興味を持ち、古物商の看板も得る

香道、煎茶道、弓道、礼法などの稽古に精進する一方で、江戸文化の研究に励み、楽しく解りやすくをモットーに江戸の人々の活き活きとした様子と、古き良き日本人の心を伝えている。

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