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コラム

2022年08月05日

「湖南戦線を征く その2」~本紙読者投稿より

昭和19年7月、湖南戦場は両軍合わせて約百万人の兵士が集結して一大大決戦場となっていた。中国軍、米軍合わせて約50万人、資源も豊富な空軍で、日夜銃爆撃を続けていた。
一方、日本軍は十五師団約40万人、兵器、弾薬、医薬品、食料の補給はなく、空軍の支援もなし。各部隊は毎日死闘を繰り返していた。

湖南作戦参加の為、追及中の各師団部隊は戦場を目指して進撃をしていた。昼間は敵の飛行機の銃爆撃で行軍はできず、夕方になると何万人と言う兵士達による一斉夜行軍が続いた。

道路は自動車の通行を阻止するために、至る所でズタズタに破壊されており、友軍が補修していた。家屋は屋根が吹き飛び、壁だけ残っている。家の隅では友軍の兵士が壁にもたれて銃を抱えて死んでいた。

落後すればそれは死を覚悟せねばならぬ。軍馬が死ねばたちまち通過する兵士たちにより肉を切り取られ、骨だけとなる。まさに餓鬼道である。

衛生隊の患者収容所があっても、衛生材料がなく、軍医一人、衛生兵四~五人で何百人の患者を看なければならず、手当てなどできない。飲食も患者自身でまかなわなければならない。またコレラや伝染病も発生している。患者が患者を診る状態である。

部隊は岳州から衡山にたどり着くまで強行軍であり、食糧不足のため編成以来の多数の戦病死者が出た。湖南の暑さは厳しく、将兵は無口で歩くしかなかった。

ある日、サイパン島の陥落の悲報を傍受する。7月22日、長沙北部に到着した市街はその日、敵機の大爆撃で火の海、夜空は炎々と燃え上がっていた。

部隊はさらに前進し、衡山に向かい南下した。食料欠乏、酷暑、マラリア、下痢、顔は腫れ、足は浮腫し、脳までおかしくなり、弱兵は次々と落後していったのだ。
(香川県 K・Y)

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