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コラム

2021年08月11日

「特攻機を見送った辛い思い出」~本紙読者投稿より

私は1920年生まれ、昭和15年に徴兵検査で甲種合格しました。村で初めての海軍兵として、駅まで万歳で盛大に見送られました。

呉海兵団に入団し、新兵教育後、沖合に擬装中の大和に乗艦すべく決まっていたのに、配乗検査の時、血沈が多くて駄目になりました。

その後、横須賀の学校に行かされ、少しでも早く下士官になって有利に進むようにと言われ、通信学校、電波関係の学校へと移り、結局は志願兵などを教える立場となる。

そして19年の夏の終わり、私たち教員の殆どが第一線の部隊に転出することとなる。同年10月、フィリッピン、ルソン島クラークフィルドへ攻撃。我が隊は一式陸攻で、重爆撃機で主に夜間爆撃を行った。私はレーダーの整備の為、派遣されていたが、11月になると飛行機もだんだん少なくなり、戦闘機は夜、特攻機として出撃するようになった。それを見送る悲しい思い出は今尚、脳裏より去らない。

私らの爆撃も3分の1程になり、爆弾も無くなり、引き揚げることになった。そのため、今、こうして生きているのだ。
残った連中は兵器もほとんど無く、暑いところで餓死しなければならなかった。実に遣る瀬無いことである。

そうして4年半の後、「万歳」で見送られた駅に、借りてきた猫のように小さくなって帰ってきた。そして戦死者の家へお参りした辛い思い出は忘れられません。(兵庫県 T・Y)

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