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2023年04月12日

「隅田川七福神」人気を集めた七福神巡り

(本稿は老友新聞本紙2018年1月号に掲載された当時のものです)
数年前からパワースポットが流行。やはり縁起の良いとされているものは生活に取り入れて、ご利益にもあやかりたいものです。

江戸の街で人気があったのは隅田川東側の川沿いを巡る隅田川七福神めぐり。
その巡拝のコースは次の通りです。三囲神社(恵比寿)、三囲神社(大黒天)、弘福寺(布袋)、長命寺(弁財天)、白髭神社(寿老人)、百花園(福禄寿)、多聞寺(毘沙門天)。このコースは現在でも人気で、5キロと少し。だいたい2時間程度で廻ることができます。

意外と知られていないのは、このコースを創始した人でしょう。文化2年(1 805年)向島百花園の園主であった佐原鞠塢という人だといわれています。

鞠塢は仙台の出身で江戸に出て来て芝居茶屋に奉公した後に日本橋で骨董屋を営み、文化年間に隠遁し当時一流の文人であった国学者の加藤千蔭、石川雅望、狂歌師の太田南畝、画家の谷文晁、酒井抱一らと交流をはかりました。そして彼らの支援と助言を受け、向島の別荘に庭園を造り百花園としたのが、今も名園とされている向島百花園です。
隅田川七福神の巡拝箇所が創られたのは、福禄寿の像を鞠塢が偶然にも所蔵しており、これを常におまつりして招福を祈願していたためといわれています。

これをもとに太田南畝が既にあった谷中七福神になぞって新七福神の設定を考案したとされ、隅田川の上流隅田村の真言宗多聞寺は毘沙門天、向島の長命寺は弁財天、三囲神社には大黒天と恵比寿神、そして黄檗宗弘福寺に布袋像があることを知り、六福神を確認しました。けれど寿老人をおまつりする神社が無かったため、寺島村の猿田彦命をおまつりする白髭神社に寿老人の長い髭を結び付けて、七福神を整えたといわれています。

江戸で最初に設定されたのは谷中七福神だという記録があります。そして、時代を経ると西南の霊場を巡拝する山手七福神が登場します。これらの七福神が、江戸の地誌や年中行事を記した歳時記などにとのように扱われたのか調べると、江戸の後期になってから紹介されはじめています。時代と共に七福神は大衆化され人々の楽しみとなっていったのです。

1日で2カ所の七福神を巡り、倍の御利益を取得しようとした人もいたそうですが、隅田川七福神のように墨堤の行楽を兼ねて廻った人もいたことでしょう。最近では地域おこしで、その町にある七福神巡りのスタンプというのも見かけるようになりました。

健康のために歩いて廻ってご利益をいただければこんな良いことはありません。御朱印帳もブームだとか。楽しみがまた増えるような気がします。
(本稿は老友新聞本紙2018年1月号に掲載された当時のものです)

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酒井 悦子
  • 伝統芸能コーディネーター / 筝曲演奏家

幼少より生田流箏曲を学び、現在は国際的に活躍する箏演奏家。

箏の修行と同時に、美術骨董に興味を持ち、古物商の看板も得る

香道、煎茶道、弓道、礼法などの稽古に精進する一方で、江戸文化の研究に励み、楽しく解りやすくをモットーに江戸の人々の活き活きとした様子と、古き良き日本人の心を伝えている。

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