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マコのよもやま話

マコのよもやま話 | 和泉 雅子

2023年04月07日

連載11 三人娘の総選挙

三人娘といえば、誰を思い浮かべますか。
初代の美空ひばりさん、江利チエミさん、雪村いづみさんですか。二代目の吉永小百合さん、松原智恵子さん、和泉雅子さんですか。三代目の伊東ゆかりさん、中尾ミエさん、園まりさんですか。四代目の山口百恵ちゃん、桜田淳子ちゃん、森昌子ちゃんですか。私が一番詳しいのは、二代目の日活三人娘です。

初代のひばりさんとは、石井ふく子先生のお母さんが小唄の三升流の家元なので、発表会の最後に、スターさん達が日本舞踊を披露するコーナーがあり、顔を合わせていました。橋蔵ちゃん(大川橋蔵さん)の『銭形平次』最終回スペシャルでは、ひばりさんと共演。私の役は、飛脚の大和屋のおまさちゃん。ひばりさんに文を届ける場面。「あ、ひばりちゃんだ。おはようございます」ひばりさん行き成り「ヨッ、宅急便」と、うれしそうに声を掛けて下さった。スタッフ全員どっと受けて、楽しい撮影現場だった。
実は子供の頃、初代三人娘を見ている。三原橋の下を流れる三十間堀川が埋め立てられ、家の裏に大規模な闇市が出来た。

その頃の銀座はアメリカ人だらけだった。家の前の橋の袂は、リンタクの乗り場。二人乗りの座席を自転車で引いていた。橋の上には靴磨きのおじさんがいて、ピカピカになる靴を、ジッと眺めていた。おじさんの道具は家が預かっていたので、おじさん「こうやると、きれいになるんだよ」と始終教えてくれた。

ある時、おじさんが家のトイレに行っている間にお客さんが来て、ちゃっかり磨いて、ちゃっかりお金をもらってしまった。初の労働賃金である。
その三原橋の上に、闇市にむかって三人娘が歌いに来ていた。そのたびに屋根の上の物干台に駆け上がり、夢中になって見た。聞いた。〈テネシーワルツ〉の江利チエミさんとは『銀座の恋の物語』で共演。三原橋で見ていたチエミさん。大興奮したが、一緒の場面はなく、がっかり。それでも、セットに押しかけて見学して、幸せだった。残念なのは、65年の芸能生活の中で、雪村いづみさんと共演できなかったことだ。おしい。
三代目の伊東ゆかりちゃんとは、中学三年生の時、クラスが一緒になった。高等部二年には、サー姉ちゃんと中尾ミエさんが転校してきた。ある日先生が「転校生が今日からこのクラスに入ります」黒板に「伊東信子」と書いた。大きなマスクをした生徒が入ってきて、ペコリと頭をさげ、私の後ろの席に座った。マスクを外すと、伊東ゆかりちゃん。びっくり。同級生。クラスメイト。うれしい。休み時間になると、他のクラスの生徒たちが覗きに来て、大人気だ。

テレビの『スパークリングショー』が大ヒット。若い男女がゴーゴーダンスを踊る番組。だが、世のPTAが、青少年が見てはいけないテレビ、とレッテルを貼ったため、ゆかりちゃんとミエさんは、アッと言う間に退学してしまった。テレビで踊っていただけなのに。かわいそう。
スター誕生の三人娘、百恵ちゃん、淳子ちゃん、昌子ちゃんは、このころ歌番組や音楽祭の司会をしていたので、よく顔を合わせた。可愛くて、お行儀が良くて、素敵だった。
おまたせしました。二代目の日活三人娘です。日活の宣伝部は呼び名をつける名人で、裕ちゃん、旭さん、エイメイさん、ジョーさん、和田君(和田浩二さん)にダイヤモンドライン。どっと若手が入社すると、サー姉ちゃんと浜ヤンを中心に、高橋君、賢ちゃん(山内賢さん)、チーちゃん、私にグリーンライン。その中のサー姉ちゃん、チーちゃん、私を日活三人娘と名付けた。しかし、三人で共演した映画は、一本もない。
さて、総選挙です。どの時代の三人娘に、清き一票を入れますか。初代ですか。三代目ですか。四代目ですか。もちろん、二代目ですよねえ。清き一票。清き一票を、よろしくお願いしまーす。じゃあ、またね。
(※編集部にて一部内容の調整を行っております)

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和泉雅子
  • 和泉 雅子
  • 女優 冒険家
  • 1947年7月東京銀座に生まれる。10歳で劇団若草に入団。1961年、14歳で日活に入社。多くの映画に出演。1963年、浦山監督『非行少女』で15歳の不良少女を力演し、演技力を認められた。この映画は同年第3回モスクワ映画祭金賞を受賞し、審査委員のジャン・ギャバンに絶賛された。以後青春スターとして活躍した。
    1970年代から活動の場をテレビと舞台に移し、多くのドラマに出演している。
    1983年テレビドキュメンタリーの取材で南極に行き、1984年からは毎年2回以上北極の旅を続けている。1985年、5名の隊員と共に北極点を目指したが、北緯88度40分で断念。1989年再度北極点を目指し成功した。
    余技として、絵画、写真、彫刻、刺繍、鼓(つづみ)、日本舞踊など多彩な趣味を持つ。
  • 主な著書:『私だけの北極点』1985年講談社、『笑ってよ北極点』1989年文藝春秋、『ハロー・オーロラ!』1994年文藝春秋。
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