高齢者のための情報サイト【日本老友新聞】

老友新聞
ルーペ

コラム

2022年04月11日

「江戸の雛」雛祭りは元祖女子会~連載71

(本稿は老友新聞本紙2017年2月号に掲載した当時のものです)
最近の雛人形はキャラクター物も多くなり種類も豊富で私達の目を楽しませてくれます。やはり雛祭りは春を告げる華やかな雰囲気で夢のある「桃の節句」です。

雛祭りの起源は、中国の古い民間伝承にさかのぼります。日本では、季節の節目に邪気を祓うために、人形(ヒトガタ)で自分の身体を撫でて穢れを移し、その人形を川や海に流すことが節供の行事となり、この事が流し雛の元になっています。
また、このような信仰に関係なく、貴族の女子が人形で遊ぶ「ひひな遊び」が融合して、次第に人形を作り、遊んで楽しみ、やがて江戸時代の中頃になると飾ることに変化していきました。

泰平の世になると優美で華やかな雛まつりは盛んになり、現代とは比べ物にならないほど、賑やかな行事となっていました。

乳幼児の死亡率の高かった当時は親の願いは子どもが無事に成長することで、生まれた娘の健やかな成長と幸せを美しい雛に祈り、初節句を祝っていたのです。
雛祭りが雛遊びを起源としていることからわかるように、人形遊びであった雛祭りは、もともとは子どもだけでなく、すべての女性を喜ばせる、女性のための楽しみである元祖女子会だったのです。

ちょっと話は進みますが、江戸時代後期になると、上方から江戸に文化の中心が移ると、雛人形も江戸独自の古今雛が作られるようになります。
古今雛はそれまでの京風の雛から写実的な顔作りのために目にはガラスをはめ込んだり、有職を無視した装飾性に富んだ衣裳は金糸や色糸で刺繍が施し工夫されて、江戸っ子の好みにあった豪華な雛人形となり、町雛でありながら身分を超えて珍重され、やがて京都にも波及し、古今様式の京雛を生みだすことになって、これが今の雛人形の源流となっています。 

日本史の授業に必ず出てくる「寛政の改革」という松平定信が行った厳しい取り締まりがありますが、これは雛人形の世界にも容赦なくお触れが出されます。しかしこれが意外にも熟成気期に差し掛かっていた人形制作に追い風となり刺激を与え、独自の雛文化を生み出すきっかけとなったのです。
松平定信が失脚すると、今までの厳しさの反動から、わずか数センチの芥子粒のように小さいという意味の芥子雛というミニチュアサイズの雛や雛道具が流行しはじめます。贅をつくしても小さい物なら目立たないという売る側の知恵と考えられるでしょう。
今まで八寸以上の高さの人形に厳しく制限されていた、江戸の人の心意気と遊び心、そして、精巧なものに対する私達日本人の感覚と権力への反発心が集約されて、小さくて豪華な芥子雛や雛道具が生み出されたのです。

そして、文化文政期になると雛段は五段、七段と高くなり、五人囃子、官女、隋身などが現れて現代のような姿になり、象牙の芥子雛や銀やガラス製の雛道具など、次々と贅沢な工夫がなされて、江戸の雛祭りは華麗で優美さを増して、その中で主役は粋な古今雛と江戸趣味の極みともいえる芥子雛と雛道具だったのです。
(本稿は老友新聞本紙2017年2月号に掲載した当時のものです)

この記事が少しでもお役に立ったら「いいね!」や「シェア」をしてくださいね。

酒井 悦子
  • 伝統芸能コーディネーター / 筝曲演奏家

幼少より生田流箏曲を学び、現在は国際的に活躍する箏演奏家。

箏の修行と同時に、美術骨董に興味を持ち、古物商の看板も得る

香道、煎茶道、弓道、礼法などの稽古に精進する一方で、江戸文化の研究に励み、楽しく解りやすくをモットーに江戸の人々の活き活きとした様子と、古き良き日本人の心を伝えている。

高齢者に忍び寄るフレイル問題 特集ページ
トップへ戻る ホームへ戻る