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2021年12月08日

「監督・コーチ・チームメイト…全ての要素が最高の形で揃ったからこその金メダルです」モントリオールオリンピック金メダリスト 白井貴子さんに聞く「私の健康法」

―日本のメダルラッシュで湧いた東京2020オリンピック、パラリンピックの熱気が冷めやらぬ中、今回は1976年モントリオール五輪で金メダルを獲得した白井貴子さんにご登場いただきました。日本のバレーボールの一時代を築いたエースアタッカー、日本人女性で初めてバレーボール世界殿堂入りを果たした白井さん。いつまでも若く健康的にご活躍されている秘訣や、現役当時の秘話についてお伺いしました。

最初からできる訳がない
全て初歩からのスタート

私がバレーボールを始めたのはスカウトがきっかけでした。中学2年の夏からバレー部に入部したのですが、当時はろくにテレビも見られないし、雑誌があるわけでもないし、だから初心者向けのルールブックを渡されて、それを見ながら練習をしていました。
試合が始まったら最初に何をするか。まずはサーブを打たないと試合が始まりませんので、サーブの練習から始めました。最初は筋力が無いので「3mの位置から打て」って言われました。3mからサーブが入るようになると、その次は6mから。何か月も練習して、やっと既定の9mから打てるようになりました。
本当に初歩からのスタートでしたが、私も人に教えるときには、私が教えてもらった通りに教えています。「まずは入るところから打っていいよ」って。最初からできる人なんて誰もいませんよ。それを規定通りに練習させると、全然入らなくて、みんな嫌になっちゃう。日本は嫌なことでも繰り返し強いるような傾向がありますが、そうでなくて、まずは楽しむことを教えたいですね。

辛い練習で逃げ出す事も
突き指なんて怪我じゃない

練習はとにかくハードでした。休みなんてありません。高校時代は全寮制で、朝5時に起きて陸上部と一緒に1時間くらい走るんです。そのあとは体育館で、バスケットリングに向かって何百回もジャンプ。それが終わったら腹筋と背筋。それからやっと朝食をとって学校へ行くんです。授業中はずっと寝てましたけど…(笑い)。3時に授業が終わるとすぐに体育館に行って、床掃除から始める。1年生は入ったばかりで、先輩に絞られる絞られる……本当によくやりました。
ときには逃げ出す事もありました。一日でも、半日でもいいから休みたいという気持ちで。連れ戻される事が分かっていても、それを覚悟で逃げるんですよ。当然、逃げた後の方が練習はきついですよ。倍の練習をしなければなりません。女性の場合、1日休むと元の体に戻るには1週間かかりますから。

怪我もこれまでに何度もしてきましたが、中でも24歳の時の怪我が一番長引きましたね。オリンピックの前で、高校生選抜の子たちに練習を付けてあげていた時の事です。私とネットの向かい側にいた子が私と同時にジャンプして、その子の足の上に着地しちゃって、それで軟部組織損傷。最初はただの捻挫だと思っていたのに、次の日は膝まで真っ青になっていました。でも、チームドクターは「大丈夫」って言うんですよ。チームドクターはモチベーションを下げないために、怪我の程度が10だったとしても5くらいにしか言わないんですよ。それで、ずっと後になってから「あの時の怪我は酷かったな……」なんて言うんですよ。突き指なんて、もう怪我じゃないですから。それが当たり前の世界でした。

本番で100%の実力を出すには
練習を120%やりきること

モントリオール五輪決勝の試合

よく、練習の時にはうまくいくのに本番の時には失敗するって、ありますよね。あれは自分に対する過度の期待なんです。練習で100%の力を出せたとしても、試合では80くらいしか出せないものなんです。普段の練習で120%の力を出せるようにしておくと、本番でやっと100%の力が出せる。普段ちゃんと練習をしていなければ、本番でうまくできるわけがないのに、本番の自分に過度の期待をしてしまうんですよ。そういう人は、本番前に不安になり、ドキドキする。練習をしっかりやっていれば本番でも自信が持てるんです。それでも負けることはありますが、それは仕方がない。私がモントリオール五輪に出場した時は、本当に120%くらい練習をやりましたから、これで負けたのなら仕方がないって諦めがつきます。私はたまたまその時、金メダルを取らせてもらいましたけど、いろんな意味で恵まれていたんだと思います。監督とか、コーチとか、所属していた会社とか、もちろん一番はチームメイトに恵まれたこと。その中でエースをやらせてもらいました。私にとってそれら全てが、素晴らしい結果を出させてくれたんです。そうやって、全ての要素が最高の形で揃わないと、金メダルっていうのは取れないものです。

金メダル

何もせずじっとしてたら
健康は手に入りません

やっぱり、死ぬ瞬間まで健康でいたいなと思います。いわゆるピンピンコロリですね。そのためには健康じゃなくちゃいけませんよね。

食生活ではグルテンに気を付けています。あらゆる食材に含まれていますので、完全に断つことはできないけれども、大好きだったパンや麺類をやめ、今は殆ど野菜中心の食事で、エビやイカなどの魚類とか、良質なたんぱく質としてたまに鶏肉を食べるくらい。

もうひとつ、東日本大震災の時の事ですが、娘が出先から自宅まで5時間かけて歩いて帰って来たんですよ。私は5時間なんてとても歩けない。その時に決意したんです。1時間毎日歩こうって。それから10年経ちましたが、毎日続けていますよ。あとは、朝起きてすぐにラジオを聞きながらの開脚と柔軟体操を30分くらいやっています。

来年はもう古稀ですが、古稀どころか100歳まで元気でいたい。だから、全然大したことではないのですが、こうして1日のルーティンを決めて生活をしています。何もせずじっとしたままでは、健康は手に入りませんからね。(談)

■白井 貴子さん(しらい たかこ)
1952年生まれ。岡山県出身。
現在は杉並区教育委員、ミズノバレーボールアドバイザリースタッフを務める。
【現役時代の大会戦歴】
 1971年 アジア大会   金メダル (バンコク)
 1772年 オリンピック  銀メダル (ミュンヘン)
☆1974年 世界選手権   金メダル (メキシコ)
 1975年 アジア大会   金メダル (テヘラン)
☆1976年 オリンピック  金メダル (モントリオール)
☆1977年 ワールドカップ 金メダル (東京)
(☆74・76・77年 三冠達成)
 2000年 世界殿堂入り(マサチューセッツ州・ホリヨーク市)

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