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マコのよもやま話

マコのよもやま話 | 和泉 雅子

2022年06月30日

連載4 阿部ちゃん

拳闘とプロレスが大好きな、小っちゃな女の子がいた。私である。どっちも大好きで、父によく連れていってもらった。ある日、拳闘を見ていたら、隣の席に、あの、プロレスラーの悪役レスラー、阿部修さんが座った。プロレスのリングで見ていた人が隣にいる。興奮した。すると阿部ちゃん、だっこしてくれたり、お菓子をくれたり、もう、大好きになった。これがきっかけで、阿部ちゃん、父、私と、いつも三人で見に行った。一番前の席だと、大変。まず新聞紙を顔の前に広げ、目のところだけ穴を開けて、飛んでくる血をよけるのだ。だから席は、真ん中へんがおすすめです。阿部ちゃんのおかげで、人形町の力道山道場にも、よく行った。道場のマスコットみたいになり、力ちゃん(力道山)とも仲良しになり、我が家に来てくれたり、力ちゃん家へ遊びに行ったり、いまだに私の自慢である。

拳闘もプロレスも室内での試合が多かったが、野外でやったこともある。拳闘は、日比谷公園の野外音楽堂にリングを設えて、世界フライ級チャンピオンの白井義男さんの試合を見た。ちゃっかり花束贈呈で参加した。プロレスは、なんと、築地本願寺の境内にリングを設え、青空の下で阿部ちゃんや力ちゃんのプロレス。かっこいい。最高。

阿部ちゃんのお友達で、金星プロの喜劇役者の谷村昌彦さんとも仲良くなった。後に父と大親友になった役者さんだ。私が若草に入り、売れっ子子役になったことを、阿部ちゃんも谷村さんも本当に喜んでくれた。

私もいよいよ中学生。と言ったって、勉強できないんだから、なんの希望もない。兎に角、気楽に休める学校を探した。小学校は区立だったので、手紙を書き、許可をもらうので、休むのが大変だった。新宿の今の都庁の近くに精華学園があり、なんと、美空ひばりさんが卒業生だ。あっ、ここがいい。と、ちゃっかり入学してしまった。

丁度その頃、銀座の家をビルデングにするというので、私の学校に近い、四ツ谷三丁目に引っ越した。四ツ谷三丁目は静かだった。丸正という八百屋があり、裸電球で、天井からゴムで篭を吊して、そこにお金を入れたり釣り銭を出したりしていた。銀座では見掛けない光景だった。四ツ谷の家は長方形で、奥に自宅、手前にアパートを建てた。

この頃、ドリス・デイやルーシーやおトラさんに夢中だった。ドリスはそばかす美人。わたしもそばかす美人。だけどドリスは、二枚目半のコミカルな役が多い。楽しそう。ルーシーも楽しそう。おトラさんも楽しそう。私も喜劇女優になりたいと思いたった。思いたったが吉日。運良く谷村さんが、おトラさんの柳家金語楼さんの金星プロに所属。阿部ちゃんのひと押しもあり、谷村さんのお蔭様で、金星プロに入ってしまった。

初めて金語楼先生のお宅へ伺いご挨拶。あれ、普段は普通の顔。笑うとおトラさんの顔。などと、心の中でブツクサ。金語楼先生の第一声「雅子ちゃん、歌舞伎をいっぱい、見なさい。きっと、大きくなったら役にたつ。絶対たくさん見なさい」その時は、どうしてかなあ、とチンプンカンプン。歌舞伎座も家の近くで、出前について行って、只見した。きれいだったけど、物語が分からない。どうして歌舞伎なのかなあ、と、こんな素晴らしい先生の教えを、飛行機通過してしまった。ああ、鈍感。

あの、憧れの『おトラさん』に出演。以前はKR(現TBS)だったが、今は日本教育テレビ(現テレビ朝日)だ。私はミルクホールのお嬢様。私だけ喜劇じゃない。

「先生、私はなんで美人の役ばかりなんですか」
「その顔、その美人が邪魔してる。君に喜劇は無理だなあ」
「えっ。ぎゃふん。たまたま、美人に生まれてきただけなのに」

喜劇が私から遠のいていく。腰がぬける程、ショックだった。美人なんか糞くらえ。じゃあ、またね。

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和泉雅子
  • 和泉 雅子
  • 女優 冒険家
  • 1947年7月東京銀座に生まれる。10歳で劇団若草に入団。1961年、14歳で日活に入社。多くの映画に出演。1963年、浦山監督『非行少女』で15歳の不良少女を力演し、演技力を認められた。この映画は同年第3回モスクワ映画祭金賞を受賞し、審査委員のジャン・ギャバンに絶賛された。以後青春スターとして活躍した。
    1970年代から活動の場をテレビと舞台に移し、多くのドラマに出演している。
    1983年テレビドキュメンタリーの取材で南極に行き、1984年からは毎年2回以上北極の旅を続けている。1985年、5名の隊員と共に北極点を目指したが、北緯88度40分で断念。1989年再度北極点を目指し成功した。
    余技として、絵画、写真、彫刻、刺繍、鼓(つづみ)、日本舞踊など多彩な趣味を持つ。
  • 主な著書:『私だけの北極点』1985年講談社、『笑ってよ北極点』1989年文藝春秋、『ハロー・オーロラ!』1994年文藝春秋。
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