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マコのよもやま話

マコのよもやま話 | 和泉 雅子

2022年04月05日

連載1 やんちゃ坊主参上

昨年の誕生日に、中央区役所からアンケートが届いた。あと1年で後期高齢者になるので、と、事細かな質問表だった。それまで年齢なんて考えたことがなかったので、飛び上がるほど驚いた。

私は、銀座の三原橋の袂でおギャーと生まれて、いまだにそこに居る。生まれた頃は、三原橋の下に三十間堀川が流れていた。銀座は昔から火事が多く、江戸城を守るためにぐるりと川や堀で銀座を囲み、火事が広がらないようにしていた。子供の頃は本当に火事が多かったなあ。そのつど物干し台に水を運び、飛んでくる火の粉に水を掛けていた。

三十間堀川は、戦後の残土を捨てるため、真っ先に埋まり、道路になった。その後、小学三年生の時、外堀の高速道路の工事が始まり、「君の名は」の数寄屋橋が消えた。五年生の時に高速が完成し、お陰様で泰明小学校にプールが誕生した。もっとその後、東京オリンピックのため、築地川も首都高速道路になり、銀座からすっかり川や堀は消えてしまった。

ついでに銀座の柳は、交通量が増えてバスの運転が困難、ということでバッサリ切られ、やはり消えてしまった。でも、銀座の人は凄い。挿し木をして育て、泰明小学校の校門に”二世の柳”として生き残っている。都電も、小学四年生の時、最後の花電車が走り、停留場も線路もチンチン電車も消えた。

銀座には、子供達の遊び場がない。駄菓子もミルクホールも紙芝居屋もない。でも、そこは銀座っ子である。毎日もらう5円のお小使いで、肉屋で五円のシュウマイを一個買うか、二日我慢して十円のコロッケか、お向かいの和菓子屋でサイコロキャラメルを買うか、決まっていた。遊びはもっぱらデパートか空き地が多かったので、チャンバラごっこや、風呂敷をマントにして月光仮面やスーパーマンごっこをして遊んだ。有刺鉄線をくぐりぬけ、しょっちゅうスカートを鉤裂きして、母に叱られた。

ケン玉、ビー玉、おはじき、お手玉、綾取り、ゴム段飛び、石ケリ、缶ケリ、メンコ、独楽回し、ベイゴマ、馬飛び、縄跳び、竹馬、だるまさんがころんだ、後の正面だあれ、ハンカチおとし、ホッピング、フラフープ……遊びはどんとこい、みーんな得意だった。

銀座っ子ならではの遊びは、少年探偵団ごっこだ。目の前に松坂屋、三越、松屋とデパートが三軒もあったので、適当な七ツ道具を腰にぶらさげて「あのおばちゃんが怪しい」などと勝手に決めてついて歩く。まったく迷惑極まりない子供だった。

遊びが大忙しだったので、勉強なんてする間がない。文字と言えば、マンガ専門だった。鉄腕アトム、リボンの騎士、サザエさん、フクちゃんなど、もう夢中になって読み耽った。

我が家には、なぜか早くからテレビがあった。街頭テレビの時代にである。力道山、ライト兄弟、オルテガが繰り広げるプロレスが大好きだった。「スーパーマン」「パパは何でも知っている」「ローハイド」「名犬リンチンチン」など、テレビに釘づけだった。

銀座には映画館が多く、よく只見をした。映画を見終わった人がゾロゾロ出てくるのに紛れて、後ろ向きに入り、サイダー片手にちゃっかり映画を見た。

月光仮面、七つの顔を持つ男、ニュース映画、ディズニー、赤胴鈴之助など、驚くほど映画を見た。まさか私が、その後映画界に入ろうとは、この時思ってもみなかった。

大人になってから、只見していた映画館の支配人とばったり。支配人曰く「マコちゃんの只見は有名で、どの映画館でも知っていましたよ」「えーっ」「只見のおかげで、映画で大活躍してて、うれしいよ」とやさしいお言葉。

不思議だったのは、どこの映画館でも、うちの大衆食堂の宣伝が出ていた。両親が只見のカバーをしてくれていたのにちがいない。やんちゃをするたびに「やんちゃ坊主、参上」と溜め息まじりにつぶやいていたのを想い出した。じゃあ、またね。

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和泉雅子
  • 和泉 雅子
  • 女優 冒険家
  • 1947年7月東京銀座に生まれる。10歳で劇団若草に入団。1961年、14歳で日活に入社。多くの映画に出演。1963年、浦山監督『非行少女』で15歳の不良少女を力演し、演技力を認められた。この映画は同年第3回モスクワ映画祭金賞を受賞し、審査委員のジャン・ギャバンに絶賛された。以後青春スターとして活躍した。
    1970年代から活動の場をテレビと舞台に移し、多くのドラマに出演している。
    1983年テレビドキュメンタリーの取材で南極に行き、1984年からは毎年2回以上北極の旅を続けている。1985年、5名の隊員と共に北極点を目指したが、北緯88度40分で断念。1989年再度北極点を目指し成功した。
    余技として、絵画、写真、彫刻、刺繍、鼓(つづみ)、日本舞踊など多彩な趣味を持つ。
  • 主な著書:『私だけの北極点』1985年講談社、『笑ってよ北極点』1989年文藝春秋、『ハロー・オーロラ!』1994年文藝春秋。
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