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マコのよもやま話

マコのよもやま話 | 和泉 雅子

2022年06月08日

連載3 乗り鉄子・興奮す!

劇団若草に入団した。なんと私、スター子役のクラスになった。二木てるみちゃん、浅野寿々子ちゃん、太田博之君、このクラス、演技賞をとった名子役がズラリ。いよいよ女優への第一歩の授業が始まった。バレエやモダンバレエは案外才能ありだった。歌は父親ゆずりの音痴でダメ。日本舞踊は苦手で、すぐ鼻血が出て見学。演技に至っては、必ず先生が
「皆さん、雅子ちゃんのような演技はしないでネ」
と言われて、全員失笑。トホホ。

3か月たったある日。「荒城の月」という映画で子役を探しているから、オーデションに行きなさい、と言う。張り切って行く。二十人いたが、私が一番背が高かった。なんと私が選ばれた。あせった劇団の先生
「あの子は何も演技ができません。せりふも無理です。他の子供でお願いします」
監督さん、ニッコリ笑って
「大丈夫。せりふなんにもないから」
初の映画出演、決定です。

東京駅から、瀧廉太郎役の子と私と劇団の先生との三人旅。急行列車の三等車。木の背もたれで向かい合わせ。パチンコのレバーのような所をつまんで、よいしょと持ち上げると窓が開く。もう、ワクワクが止まらない。横浜でシュウマイ弁当を買ったのが、運のつき。停車する度に駅弁を買いまくった。静岡でなんと、冷凍みかんが売られていた。氷のように冷たい。食べたらおいしい。感動した。お金は先生が立て替え、後に清算したらしい。親、ぶったまげ。

東海道本線から山陽本線へ。鹿児島本線の小倉駅で、日豊本線に乗りかえ。大分駅で豊肥本線に乗りかえ、豊後竹田駅に到着。三十八時間の旅だった。駅に着くと「荒城の月」が流れていた。駅前の旅館がロケ隊の宿だ。

学校の勉強から解放されノビノビしたせいか、よく食べた。朝は宿で、パンクする程食べた。昼はロケ弁当。アルマイトの弁当箱で日の丸弁当。三コも食べた。夕食は又々宿で、パンクする程食べた。カトンボのように細かった体型は、見事に膨らんだ。時々、父の戦友達が尋ねて来た。
「大分に仕事があったから、ついでにのぞいてみたよ」
皆、同じ事を言う。
「ハハーン。見張り」
ピンときた。

さて、次のオーデションは、岸恵子さんがフランス人の監督さんと結婚して、初のお里帰り記念の松竹「風花」。久我美子さんの子供時代だ。やっぱり一番背が高い。もしや。木下恵介監督と久我美子さんが近づいてきて、なんと、私に決定した。

ロケ地の長野へ向かう。上野駅に行くと、蒸気機関車だった。今回は母も一緒に行くというので、父がなんと、特二等をプレゼントしてくれた。すごい!一人ずつの椅子になっていて、背もたれがたおせる。白いカバーがかけてあり、足を乗せるところもある。天にも昇る気分だった。これがきっかけとなり、乗り鉄子になった。

17歳のころ、日活映画に久我美子さんが出演。うれしくって、うれしくって、結髪室(女優さんのメイク室)で、久我さんのまわりをウロウロして、いつご挨拶してよいやらと困っていたら
「あなた、おぼえているうー」
と久我さんからお声がかかる。
「もちろんです。おぼえています。ありがとうございました」
と大声で叫んでいた。まわりの人は、何のことだかわからず、ポカン。でも私、うれしくって、俳優会館の中をスキップして、はしゃいだ。その後30歳のころ、久我さんと美容院がご一緒で、大感激。

話は子役に戻ります。テレビ映画「少年ジェット」に出演。少年ジェットの初代のシリーズ、二代目、三代目と、すべてに出演。

モデルもモテモテで、リボン、少女、少女ブック、少女フレンド、小学五年生、小学六年生と、引っ張りだこ。気が付けば、売れっ子子役になっていた。

そんなある日のこと。ふっと、もっと学校を休むために、なにか手はないか。あ!名案がうかんだ!これだ!フフフ。じゃあ、またね。

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和泉雅子
  • 和泉 雅子
  • 女優 冒険家
  • 1947年7月東京銀座に生まれる。10歳で劇団若草に入団。1961年、14歳で日活に入社。多くの映画に出演。1963年、浦山監督『非行少女』で15歳の不良少女を力演し、演技力を認められた。この映画は同年第3回モスクワ映画祭金賞を受賞し、審査委員のジャン・ギャバンに絶賛された。以後青春スターとして活躍した。
    1970年代から活動の場をテレビと舞台に移し、多くのドラマに出演している。
    1983年テレビドキュメンタリーの取材で南極に行き、1984年からは毎年2回以上北極の旅を続けている。1985年、5名の隊員と共に北極点を目指したが、北緯88度40分で断念。1989年再度北極点を目指し成功した。
    余技として、絵画、写真、彫刻、刺繍、鼓(つづみ)、日本舞踊など多彩な趣味を持つ。
  • 主な著書:『私だけの北極点』1985年講談社、『笑ってよ北極点』1989年文藝春秋、『ハロー・オーロラ!』1994年文藝春秋。
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