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マコのよもやま話

マコのよもやま話 | 和泉 雅子

2022年11月15日

連載8 親切なジェントルマン

親切なジェントルマンとは、エイメイさん(二谷英明さん)のことです。13才ぎりぎりで、内緒で出た『七人の挑戦者』が、エイメイさん主演の映画だった。母とほとんど歳が同じだったので、娘のように可愛がってくれた。14才になりたての2本目の映画も、エイメイさんの『暗黒街の静かな男』だった。多摩川に掛かる大きな橋でロケ中、走っている車にお願いして、ちょっとだけ止まってもらっていた。その中に米軍のジープが。それを見たエイメイさん、駆け付けてベラベラベラと英語でお願いしている。信じられない。「エイメイさん、すごい」

「英語の先生になろうと思っていたんだよ」
なんと、同志社大学で英語教師を目指していた、と言う。ある時実習で女学校へ行き、教室のドアを開けた途端「キャー」と黄色い声。とっても恥ずかしくて、教科書で顔を隠して授業をした、と言う。これは無理、とあっさり英語教師の道をあきらめた、と言う。
そしてエイメイさん「ワン、ツー、スリー。フー、アー、ウィー。ラーラーラー、ドーシーシャー」と教えてくれた。勉強はさっぱりの私だが、なぜかこれは一発で覚えた。

その後、難しい役や難しい演技の時は、呪文のようにこれを唱えると、不思議とうまくいく。エイメイさんのおかげです。

中学生になると、小学校にはなかった英語の授業がある。私は仕事を始めた10才の時から、家庭教師の先生にお願いしている。英語が始まるというので、家庭教師の先生にさんざん発音を習い、いざ授業へ。いざ教科書を読む。大丈夫。さんざん練習したから、読める。大きな声で「ディリーズアペン。ディリーズアペンソウ」途端に先生の雷が落ちた。
「ディスイズアペン。ディスイズアペンシル。でしょう。正確に読みましょう」
我、撃沈。なんだか英語が苦手になった。もし、エイメイさんが英語の先生だったら、きっと今ごろ、英語ベラベラだったにちがいない。なんちゃって。

映画界が斜陽になり、日活もいよいよロマンポルノになるので辞めてほしい、と言われた。気が付くと、エイメイさんと私しか残っていなかった。

裕ちゃんが石原プロを作ったり、皆早々に芸能事務所に入ったりして、テレビで活躍している。日活の俳優さんが日活を辞めてテレビに移る時、新聞は「○○さん、テレビに天下り」と書きたてられて、大さわぎだった。テレビが、電気紙芝居と呼ばれていたので、多分、そんなタイトルがついたのではないか、と思われる。

そして、エイメイさんと私のタイトルは「最後の天下り」だった。困った私を見てエイメイさん「マー坊、これから事務所を作るけど、行き先が見つかるまで、おいで」ありがたくエイメイさんの事務所に居候した。

テレビに移ると、次から次へとドラマの仕事が決まり、忙しかった。映画の撮影のように、ワンカットずつ撮るのではなく、ワンシーンワンカット。どんどん撮り終わってしまう。せりふを覚えるのがやっとで、台本を抱えたまま寝る日が多くなった。

ある日、東芝日曜劇場で『正子絶唱』の前・後編で声がかかり、プロデューサーのフー先生(石井ふく子先生)と出逢った。フー先生と母が、同い年だとわかり「じゃあ、マコちゃんは、娘ね」これがご縁で、長きにわたりお世話になっている。フー先生の紹介で、吉田奈保美事務所に入ることが決まった。

日活を辞めてから二年あまり。エイメイさんの事務所に居候させていただき、本当に感謝しかなかった。エイメイさんは「マー坊、困ったことがあったら、いつでもおいで」と、まるで旅立つ娘を見送るかのように、あたたかく送り出してくれた。これぞ、まさしく、世界で一番の、親切なジェントルマンである。

エイメイさん、サンキュー、ベリーマッチ。フォー、エブリシング!じゃあ、またね。

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和泉雅子
  • 和泉 雅子
  • 女優 冒険家
  • 1947年7月東京銀座に生まれる。10歳で劇団若草に入団。1961年、14歳で日活に入社。多くの映画に出演。1963年、浦山監督『非行少女』で15歳の不良少女を力演し、演技力を認められた。この映画は同年第3回モスクワ映画祭金賞を受賞し、審査委員のジャン・ギャバンに絶賛された。以後青春スターとして活躍した。
    1970年代から活動の場をテレビと舞台に移し、多くのドラマに出演している。
    1983年テレビドキュメンタリーの取材で南極に行き、1984年からは毎年2回以上北極の旅を続けている。1985年、5名の隊員と共に北極点を目指したが、北緯88度40分で断念。1989年再度北極点を目指し成功した。
    余技として、絵画、写真、彫刻、刺繍、鼓(つづみ)、日本舞踊など多彩な趣味を持つ。
  • 主な著書:『私だけの北極点』1985年講談社、『笑ってよ北極点』1989年文藝春秋、『ハロー・オーロラ!』1994年文藝春秋。
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