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マコのよもやま話

マコのよもやま話 | 和泉 雅子

2026年04月13日

連載32 ビートルズと大河ドラマ

誰にでも、たった一度っきり、という経験があるんじゃないかしらん。フッと振り返ると、私もある、ある。

あの、東京オリンピックの時、多くの競技場ができた。国立競技場、代々木の体育館と代々木オリンピックプール。その中で、日本武道館は格別。お寺のようぎぼしな造りで、てっぺんには擬宝珠まである。一度は行ってみたいと思っていたが、ついに、そのチャンスが訪れた。ビートルズの公演だ。たまたま、ビートルズと同じレコード会社だったので、ビートルズが招待してくれたのだ。

さっそく、当日着ていくお洋服を注文。モスグリーンのコールテンの生地で、上着はミリタリールック、スカートは超ミニのタイトスカート、膝下までのロングブーツ。バッチリ、ビートルズファッション!

いよいよ当日。ケンちゃん(山内賢さん)と会場へ。客席は、ほとんどが女の子で、雰囲気はワクワク、ムンムン。さて、はじまる!ステージにひょっこり顔を出した男性。「キャーッ」と黄色い声援。が、すぐ静かになった。「ビートルズだと思ったでしょう」ドリフターズの加藤茶さんだった。そして、ドリフターズの演奏が30分あった。さすが全員、名プレイヤー、見事な演奏だった。

さて、いよいよビートルズ登場。姿が見えて、終わるまで、会場は黄色い声の嵐。ロカビリーどころではない。ほとんど演奏も歌も聞こえなかった。ついに、失神する女子が続出。テレビのニュースで、よく映像は見ていたが、目の当たりにしたのは初めて。さすがはビートルズ。

私の席からは、15センチくらいの大きさのビートルズだったが、ステージ全部が一面の花畑を見ているような、幾重にも虹がかかったような、今まで感じたことのない、ものすごいパワーとオーラが私に押し寄せた。

ビートルズ、半端なーい!さすが!かっこいい!もちろん、ビートルズのステージを見たのは、この、一度っきり。日本武道館を訪れたのも、この、一度っきりだった。

丁度その頃、日活を卒業した私に、NHKの大河ドラマが声をかけて下さった。吉川英治先生原作の『新・平家物語』だ。うれしい事に、大映を卒業した若尾文子さんとの共演だった。

若尾さんの大ファン。映画も舞台も、全て拝見している。すっかりうかれていると、若尾さんも声をかけてくれるようになった。「ねえ、今日も踊りのお稽古いくのお」「うん」「じゃあ、車に乗っていきなさい」と、お稽古場が帰り道の途中なので、いつも乗せてくれた。ある日「江戸時代の櫛なの。骨董屋さんでみつけたの。さんざん舞台で使ったんだけど、もう娘役は無理。この櫛、あげるわ。時代劇で使いなさい」と赤地のかわいい娘役の櫛をいただいた。ありがたく、テレビドラマや舞台で、さんざん使わせていただいた。

フッと気がつくと、いつしか私も娘役が無理になってきた。そこで、知り合いの女性講談師きんかんの琴柏さんに、バトンタッチ。きんかく『五代目・宝井琴鶴』を襲名したので、そのお祝いに、プレゼントしたのだ。

江戸時代から若尾さんに。そして私に。ついに琴鶴さんに。美しい娘達が、脈々と、この娘櫛を受け継いでいるのである。なーんちゃって!

あ、そうそう。若尾さんの旦那様、建築家の黒川紀章さんと、雑誌の対談をしたことがある。黒川さんは、明るくて、気さくで、楽しい人だ。ついつい引き込まれて、ワーワーおしゃべり。その最中「ちょっと、外に出ましょう」と、青山通りの歩道橋に案内してくれた。真中あたりで、黒川さんいきなりピョンピョンをはじめた。「うわー、揺れてる」「はい、歩道橋は、揺れるから安全なんですよ」ねえ、わかりやすいでしょう。

若尾さんと黒川さん、ピッタリだ、と思った。

大河ドラマ『新・平家物語』に出演して、55年経っていた。今でも大河ドラマは続いている。が、私が出演したのは、この、一度っきり。大好きな若尾さんと共演したのも、この、一度っきりだった。じゃあ、またね。

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和泉雅子
  • 和泉 雅子
  • 女優 冒険家
  • 1947年7月東京銀座に生まれる。10歳で劇団若草に入団。1961年、14歳で日活に入社。多くの映画に出演。1963年、浦山監督『非行少女』で15歳の不良少女を力演し、演技力を認められた。この映画は同年第3回モスクワ映画祭金賞を受賞し、審査委員のジャン・ギャバンに絶賛された。以後青春スターとして活躍した。
    1970年代から活動の場をテレビと舞台に移し、多くのドラマに出演している。
    1983年テレビドキュメンタリーの取材で南極に行き、1984年からは毎年2回以上北極の旅を続けている。1985年、5名の隊員と共に北極点を目指したが、北緯88度40分で断念。1989年再度北極点を目指し成功した。
    余技として、絵画、写真、彫刻、刺繍、鼓(つづみ)、日本舞踊など多彩な趣味を持つ。
  • 主な著書:『私だけの北極点』1985年講談社、『笑ってよ北極点』1989年文藝春秋、『ハロー・オーロラ!』1994年文藝春秋。
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