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コラム

2021年06月22日

第45回 今治城~築城名人・高虎の城~

所在地=愛媛県今治市通町3-1-3
種類=平山城(海城)
別名=吹場城/美須賀城

 

高虎流「三重の堀」巡らす
海辺の地形生かした日本初の五層天守

関ケ原の合戦後、今張ノ浦に居城としてこの城を築いたのは、天下一の名築城家の藤堂高虎です。海の近くという地形を最大限に活かし、瀬戸内海の海水を直接引き込める堀には圧倒されます。

古地図によると、城郭のあった場所は大小の正方形をつなげた造りで、その周りを濠が囲み、北側は海に面しています。この築城法はオランダ人が造った台湾のゼーランダー城の手法を取り入れたといわれています。瀬戸内の水軍の把握と貿易港を兼ねた城造りは、瀬戸内の海上権をも手に入れようとする高虎の野望があったからでしょう。

今治城は輪郭式縄張りで三重の石垣をめぐらし、石垣は高虎流。直線的で反りが無く、足元には通路状の犬走りが取り巻いているのが特徴です。堀は船が自由に出入りできるように幅約60メートルの内堀とし、天守閣は日本初の層搭型五層天守。慶長15年に家康に献じるために丹波亀山に移されたともいわれていますが、献じたというよりも、高虎の力を恐れた家康が取り上げたとも考えられています。

日本初の層搭型五層天守

三重の石垣をめぐらす

櫓は23基を要所に配していたのですから、かなりの雄大な構えだったと想像できます。現在は南側の堀が埋め立てられて、城址は公園となり、高い石垣が当時をしのばせています。

二の丸跡には「蒼吹の井」という井戸が残っており、内濠とは10メートル程の距離で水位は内濠と同じ。なのにこの井戸は真水です。海辺に築かれた城であるのに、どのようにして真水を引き入れたのでしょう。こういう所が高虎の恐ろしくもあり凄い力量です。よほど優れた腕の持ち主が築城に加わっていたと考えられます。

今治の沖、来島海峡に浮かぶ小島には村上水軍として知られている、瀬戸内海の豪族村上氏の血族の久留島道康が治めた来島城もあります。来島海峡は潮流も早く、鳴門のように渦を巻いているため、海峡そのものが戦略兵器だったのでしょう。

瀬戸内海の小島にあった城跡からは、中国の陶器の破片や銅製の鏡が発掘されています。村上一族が中国まで遠征して暴れていたことが想像されます。
瀬戸内海の穏やかな海と、その土地に築かれた城の歴史に思いを馳せると、山城とは違う楽しみ方を味わえます。

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