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コラム

2022年02月10日

「語り継ぎたい日記帳」~本紙読者投稿より

「過ぎし日の戦の語り部」として、当時の日記を見ながら書いてみます。

     ◇

昭和18年5月14日。当時私は農後水道を守るため、愛媛県の宇和海に浮かぶ小さな島「日振島」に派遣されていた。この島は千年あまり前、藤原純友という武士が時の政府に反抗して、東の平将門と戦った島である。島の人々は人情味豊かな善良なる人々であった。

その島に海軍の見張り所が出来、総員30名あまりで日夜敵潜水艦防御のため派遣されていたのだ。
この日、本体大分県の佐伯防備隊より司令官の柴崎少将が士官3名下士官兵9名と共に視察にこられた。
色々な訓示の後、「戦地で活躍したいと思う諸君をこの辺地への派遣。御苦労なことと思うが、どこにあっても国のためには変わりない」と、実に穏やかに話された。

その後、私は係りのためコーヒーをお出しした。すると突然、司令は「君はどこの出身だ」と言われたので「兵庫県です」と答えると「そうか」と頷かれた。そして「君もコーヒーを飲みなさい」と言われた。その時の司令の目は実に優しい、親のような感じがした。

それから6か月後ほど後の11月25日、南方戦線タラワ・マキンにて司令官の守備隊は玉砕された。あの時の優しい司令官の顔を思い出し、涙が出た。

4年半ほど務めた海軍、幸か不幸か命長らえて還ることが出来た。そして戦後、昭和23年10月に結婚、妻は戦争中、国民学校の教師として務めていた。そしてなんと、柴崎という海軍の偉い人の子供さんを教えたという。大変良く出来た子なので良く覚えていると。あの時、私が「出身は兵庫県です」と答え、柴崎司令官が優しそうな目をされたのは、今考えると同県人だったためなのかと思われる。

    ◇

古い話なので、日記帳が無ければおそらく忘れていたことだろう。私は死んだとしても何も残すものはないが、この日記帳だけが宝である。
(兵庫県 T・Y)

 

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