コラム
かがやく人
「『折れない力』よりも『折れた後に戻す力』が必要。そこで何を考え、何を感じるのかが重要なんです。」オリンピックメダリスト 中田久美さんに聞く「私の健康法」
―今回は元バレーボール全日本女子代表、女子日本代表監督の中田久美さんにご登場いただきました。史上最年少の15歳で全日本代表に選出され、1983年アジア選手権で当時世界一の中国を破り優勝、翌年のロス五輪では銅メダルを獲得するなど華々しい戦績を誇り、指導者・監督としても手腕を発揮された中田様に、現役時代のバレーボールに対する心構えや、ご自宅での過ごし方などのお話を伺いました。
水泳で五輪目指した事も?
バレーボールを始める前は水泳をしていました。水泳でオリンピックを目指そうかなって。家の近くにスイミングスクールがあって、そこに通っていました。個人メドレーでどんどん記録を塗り替えていたんですが、他の子と比べてどんどん身長が伸びていって、目立つのも嫌で、練習も苦しくて、途中で挫折しました。
本格的にバレーボールを始めたのは中学の頃です。当時は母がママさんバレーをやっていたり、『アタックNo.1』などのアニメが人気だったり、そして白井貴子さん(元全日本女子エースアタッカー)達の活躍をテレビで見て、それが衝撃的な格好良さでした。それはもう凄かったです。これしかないと思い、始めました。
オリンピックを目指すLAエンジェルスという次世代育成のプログラムに応募して、中学生で全日本代表に選出されました。ですが、天性の才能があるとは思っていません。山田先生(山田重雄元日本女子代表監督)に見出していただいたことには感謝しかありません。
選手時代は毎日朝から夜遅くまで練習の日々で、休みは1年間で数日しかない状態でした。それこそ朝起きた瞬間から、どうやったら勝てるだろう、こういう流れはどうか、などと1日中バレーボールのことを考える日々でした。
心が折れた後どうするか
練習ではよく山田先生に叱られました。ミスをしても何も言われない選手もいる中で、私はそこまで言うかというほど酷く怒鳴られました。その分、期待を受けていたのだと今では感じますが、当時は心が折れることもありましたね。でも、この壁を乗り越えなければ世界には勝てないんだろうなって自分の中で受け入れていましたし、それが普通でした。
アスリートって、「折れない力」よりも「折れた後に戻す力」が必要だと思うんです。レジリエンスっていうんでしょうか。折れることってしょっちゅうですし、折れないアスリートなんていないと思います。折れたときに、そこで何を考え、何を感じるのか。それによって新しい一歩を踏みだせるのか、あるいは引退なのか。その2つに分かれるんだと思います。
大会や試合の前には、緊張のせいで手が冷たくなって震えちゃって、コートに入る前までは大変です。でもコートに入ると、何かのスイッチが入るのか、大丈夫になるんです。試合が始まりさえすれば、集中して、もう緊張はなくなってしまいます。それだけの練習をしてきたという自信がそうさせたのだと思います。
ある程度の緊張やストレスって、すごく大事なことだと思います。やっぱりオリンピックなどの大きな大会はすごく緊張します。そのせいで、普段できていることができない、体が硬くなって動かなくなってしまうようなマイナス面もありますが、自分がやってきたこと以上の力が出せるというプラスの面もあるんです。自分のパワーにできるいい緊張感にするためには、やっぱりそれなりの練習量が必要だと思います。
選手時代はあまりネガティブなことは考えませんでしたが、監督になってからはリスクマネジメントの事ばかり考えていました。ネガティブな所からの逆算で、こんな事態になったときにはこう対応しようとか、この選手が怪我をしてしまったらこうしようとか。選手たちのあらゆる情報を集めて、マイナスの部分をいかに埋めて、選手同士のバランスを取っていくか、そういうことにすごく時間を割いていました。
自然あふれる生活を満喫
まず自分の体を整えたい
今は長野で生活しているのですが、自宅があるのは標高1000mの場所なんです。空気が澄んでいて、夜は星がたくさん見える奇麗な場所で、朝は鳥の鳴き声で目を覚ますような場所なんです。本当に自然の中で早寝早起きの生活をしています。
家の周りに何匹かの野良猫がいたんですが、コロナ禍のステイホームの生活の中で、1年くらいかけてその中の1匹と仲良しになったんです。今、家族として一緒に生活をしています。その子と遊んでいる時が一番の癒しですね。
食事は仕事や会食があるとき以外はもう何年も1日2食なんです。昼食がメインで、そこでたんぱく質や野菜をしっかり採って、夕食は食べません。その方が起きたときに気持ちがいいんです。胃を休めるという意味で、空腹時間を少し長く保つようにしているんです。1日3食ですと、ちょと重く感じて、少しぐらい空腹状態で眠るほうが調子が良いですね。
睡眠については以前から寝つきが悪くて、遠征などで場所が変わると特に眠れなくなったりするんです。毎日厳しい練習を送る中で、体を休めること、とくに睡眠はすごく重要ですから「my枕」を持ち歩いていましたね。遠征の際に荷物が多くなるといけないので、母が作ってくれた小さめの蕎麦殻の枕があるんです。選手時代から監督の時も、ずっとそのmy枕を持って世界を廻っていました。それでも眠れないときもありますので、なるべく早くに横になるようにしています。
これからの目標については、まず一番は自分の体を整えたいということですね。今、あまり体を動かせていないので、このままではいけないなと思って、徐々に始めていきたいなと思います。健康でなければ、やりたいことがあっても何もできませんからね。その先、何がやりたいかっていうのはまだ全然見つけられていないのですが、やはり社会と繋がるような活動をしていたいと考えています。
■中田 久美(なかだくみ)さん
1965年生まれ。東京都練馬区出身。
15歳で日本代表入り。16歳でセンタープレーヤーからセッターに転向すると、以後10年以上にもわたり、日本を代表するセッターとして活躍。
バレーボール女子日本代表監督、プレミアリーグ・久光スプリングス前監督。日本リーグ、プレミアリーグ時代を通じて女子最多4度の最高殊勲選手賞受賞。
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