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コラム

2020年10月14日

「湯屋」~服の脱ぎ方やたたみ方も教わる場所。江戸っ子も銭湯好き!連載48

もともと銭湯好きな私ですが、ついに昨年より都内で使える回数券を購入して、近隣の銭湯に出向き小さな幸せを感じています。私の住んでいる区は都内でも銭湯が多く、しかも天然温泉黒湯の所もあり楽しみは増すばかり。銭湯は今も昔も人々の憩いの場所です。広い浴槽につかり、のびのびとするのは江戸の人もきっと同じだったのでしょう。

江戸に銭湯が登場したのは天正十九年(一五九一)の頃。初めは蒸し風呂だったのが、だんだんとお客が増えて、石榴口の風呂となりました。これは洗い場と湯槽の間を戸板で仕切り、その下90センチ位をあけて、お客はくぐるようにして入り、湯気が逃げて温度が下がらない仕組みになっていました。

「守貞漫稿」によると、入り口から左右に仕切りがあって、左が男湯、右が女湯に分かれ、土間で履き物を脱ぎ、番台で湯銭を払い、板場で着物を脱ぐというのが基本的な流れでした。浴槽は薄暗い奥にあり、お湯は汚れていたらしいという記録が残っています。今の様に水道から水が出る時代ではないので想像するにしかりです。流し場で丹念に身体を洗って小さな湯槽から岡湯をかけてから出ます。岡湯とは「上がり湯」のことで、湯槽を「湯船」と呼ぶところからもじったものといわれています。

入口には「ゆ」と書いた布をぶら下げたり、矢をつがえた弓を吊るしたりもしていました。これは「弓射る」と「湯入る」をかけています。洒落好きな江戸の人々にとってはとても解り易く便利な目印だったと思います。番台では糠袋、手ぬぐい、楊枝、あかぎれの薬などが売られ、板の間(脱衣所)には、爪切り用のハサミと櫛が紐につながれて備え付けられていた様子は、今でいう石鹸、タオル、歯ブラシ、クリーム、そしてドライヤーといったところでしょうか。

娯楽室は男湯の二階にあり人々は将棋、囲碁、時には落語などを楽しみ、一日の疲れを取ったといわれています。この二階の場所はもともと武士の刀を預かる場所で、商家の人や武士はまず二階に上がり、着物を脱いで戸棚に入れ、刀は預けてから、湯銭と手ぬぐいなどを持って下の湯につかり、また二階に戻って来るというスタイルでした。

さっぱりとした後は、お茶を飲み雑談をしたり、碁を打ったりと楽しいひと時を送っていたのでしょう。とてもゆったりとした時間の流れを思いうかべます。この二階の座敷で楽しむには湯代の他に少々のお代が必要でした。それなりの場所代ということです。

昔は銭湯で世間を学ぶと言われていました。私の子どもの頃も衣服の脱ぎ方、たたみ方、お湯で身体を流してから湯船に入る、大きい子は小さい子の面倒を見るなど、いくつもの銭湯しぐさを学んだものです。銭湯こそご近所付き合いの場所だったと思います。人間関係が希薄になってしまった今だからこそ、銭湯に学び直したいものです。こんな素晴らしい年代を超えた社交の場は日本の文化の一つです。是非とも次の世代へ受け継いで行きたいです。銭湯は心の交流、命の洗濯。今年は更に銭湯通いを楽しみます。

(本稿は老友新聞本紙2015年3月号に掲載した当時のものです)

 

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酒井 悦子
  • 伝統芸能コーディネーター / 筝曲演奏家

幼少より生田流箏曲を学び、現在は国際的に活躍する箏演奏家。

箏の修行と同時に、美術骨董に興味を持ち、古物商の看板も得る

香道、煎茶道、弓道、礼法などの稽古に精進する一方で、江戸文化の研究に励み、楽しく解りやすくをモットーに江戸の人々の活き活きとした様子と、古き良き日本人の心を伝えている。

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