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コラム

2022年09月21日

第3回「日本橋~なんたって御公儀橋」

「お江戸日本橋七つ立ち~」と歌われる日本橋はかつての江戸の中心、今は高速道路に頭上を覆われ風情は感じられませんが、橋の欄干には擬宝珠が付けられた幕府が管轄する御公儀橋として、日本橋川に慶長8年(1603)に架けられ、翌年には東海道の起点とされました。当時、擬宝珠が付いていたのは、江戸城のご門に入る橋と町方では新橋と京橋だけでした。

「この地は江戸の中央にして、諸方への行程も、このところより定めしむ。橋の上の往来は貴となく賤となく、絡繹として間断なし。また橋下を漕ぎつたふ魚船の出入り、旦より暮れに至るまで嗷々として囂し」
と、江戸の中心として諸国への街道の起点とされ、人や船が集まり賑わいの地であったと『江戸名所図会』に記されています。

東海道の起点 一大商業地

橋から続く大通りの両側には大店が連なり、河岸には蔵屋敷が並び、日本全国の物流の一大商業地として発展を遂げました。
橋の南詰には、法度、掟書、犯罪者の人相書などを記す高札場が人通りのある所に設けられ、その向かいには晒し刑となった罪人の「晒し場」があり、北詰東側は江戸城に納めた残りの魚を売ることを許可されていた場所として魚河岸が賑わいをみせました。

河岸とは、河川、運河の船着場のことで、日本橋一帯には多くの河岸があり魚河岸や大根河岸といった、取引する物で呼ばれたり、鎌倉河岸、木更津河岸と地名で呼ばれたりしていました。

江戸の頃より交通の要として栄えた現在の日本橋は、当時の面影はありませんが、明治44年(1911)に完成した石造二連アーチの橋で、長さ49メートル、幅27.3メートルの20代目とされています。

橋のデザインは西洋風を基本としながらも青銅像の麒麟と獅子に、松や榎木の日本的なモチーフを加えた和洋折衷の装飾で、日本の道路の起点となる日本橋から飛び立つというイメージで麒麟像には翼が付けられ、獅子像はヨーロッパのライオンがイメージされ、東京市の紋章を手にしています。

「日本橋」という橋柱の銘板の揮毫は徳川慶喜のもので、今も老舗が並ぶ商業地のシンボルとして人々の往来を見守り続けています。

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